アン・タブチのブログ

色々と現状を変えたいと思っているひとです

例外は前例となり、規定事項になる

前回、会社における前例について書きました。

  

会社における『前例』のパワー - アン・タブチのブログ

 

 

前例というのはパワーがあるのです。だからこそ、前例を作るときは慎重につくらなければいけません。最初から柔軟に、変化に対応できるようにしなければいけないのかも。

 

いつのまにかできる前例

 

前例が意図的につくられるのであれば、そのときに注意すればいいのですが、問題になるのは、いつのまにかできる前例です。

 

誰も深く考えずに最初のルールが決まったばかりに、それが前例となり続いていくパターンです。 誰も深く考えていないので、その場しのぎだったり、誰かに懇意的な内容であったりして、問題がある場合が多くなります。いつのまにかできる前例こそ危ないです。

 

よくあるのが、『例外』から『前例』になるパターン。ある偉い人がわがままを言って、担当者が仕方なく、 「これは例外ですよ」 とあるルールを決めてしまいます。本来であれば、会社の利益を考えてルールを決めなければならないのに、偉い人の一声で例外を認めてしまうことがあります。

 

その偉い人は自分のわがままを聞いてもらえるので、もちろん文句は言いません。担当者は、偉い人に頭をなでてもらえるし、あくまで『例外』ですから、責任を問われることもありません。ちょっとの罪悪感も、「これは例外例外」と自分に言い聞かせ、納得します。

 

そして時は過ぎ、その偉い人は定年退職、担当者は部署に移ってしまいます。しかし、その『例外』は存在し続けます。そのときにまだ『例外』扱いならまだいいのですが、『前例』となっていることがよくあります。

 

いつの間にか特別な例外が、当たり前の前例になってしまうのです。 だってこれは前例だから そうなると、その前例を覆すことは難しくなります。公認の担当者が責任感をもってその是正を訴えても、そのメリットを享受している人たちは、抵抗勢力となり反抗し続けます。

 

「だってこれは前例だから。」

 

そう言われれば、新しい担当者はなかなか強くはでられません。そうしてさらに時は過ぎ、その前例を覆そうとする人はいなくなります。例外は前例となり、既定事項となります。

 

例外をつくる場合は慎重に

 

だから、例外を作るときは慎重にならなければいけません。その規定事項の不公平さ、おろかさにか誰かが気づいたときに、退職していればいいのですが、会社のどこかにいると大変です。

 

「この例外を認めたのは誰だ!」→「○○さんです。」

 

とならないように、例外を期限付きにするか、その証拠を残さないようにしなければいけませんね。

 

 

社員がよろこぶ会社のルール・規定集101

社員がよろこぶ会社のルール・規定集101

 

 

会社における『前例』のパワー

会社のルールは前例で決まっている

 

会社で働いている人ならわかると思うけど、会社において『前例』のパワーってすごいと思いませんか? 小さな物品の購入から大きな投資まで、この『前例』によって左右される意思決定は多いです。

 

「何で備品はこのメーカーのこの商品なの?」→「ずっとこれだから。」

「何でパソコンはこのメーカーに決まっているの?」→「ずっとこのメーカーだから。」

「何でこの商品はここから必ず仕入れるの?」→「ずっとここと取引しているか。」

 

物だけではなく、行動も『前例』で決まることが多いです。

「何でこの決済は複数の管理職の承認が必要なの?」→「ずっと前からやっているから。」

「何でこの曜日・この時間に出勤しなければいけないの?」→「ずっと前からそうだから。」

 

いいか悪いかは別として、会社のルールって『前例』で決まっていること、多くありませんか?

 

絶大な前例のパワー 意思決定において、『前例』というのは絶大なパワーを持っています。特に新しいものを拒む抵抗勢力にとっては便利なものです。意見が対立している相手を納得させるのに、『前例』というのはもってこいの武器なのです。

 

ある人が、 「今回はこの新しいプランで行きましょう!」 と提案すると、誰かが、 「その前例は今までないよ!君は成功を保証できるのか?」 と反論します。

 

たとえ、新しいプランが正しくて効率的だったとしても、新しいことにはリスクがあります。そのリスクを背負うのは勇気がいることであり、なかなかサラリーマンには出来ることではありません。

 

失敗すれば、 「ほらみたことか。前例に従わないからこうなるんだよ。どう責任取るの?」 と責任を問われるからです。

 

その結果、提案者は提案を手仕舞いして前例に屈するのです。 前例で決めるのは簡単 会社が前例通りに意思決定を行ってしまうのは、仕方のないことです。だって、そのほうが楽で、簡単で、誰も責任を問われないから。

 

たとえその前例があるとき失敗したとしても、そのときの担当者は言い逃れが出来ます。 「私は前例どおりやっていただけです。私に責任はありません。」

 

これは、特に管理職にとって重要な責任回避方法です。過去からずっと続いているという事実は、誰かに責任を問われたときにもってこいの言い訳になるのです。

 

また、前例どおりやるのは簡単です。難しいコスト計算も、リスク管理も、状況判断も必要ありません。ただ、これは前例どおりという証明を残せばいいのです。 そりゃあ、会社で前例が力を持つわけです。

 

せめて抵抗勢力にはならないようになりたい

 

前例が利益をもたらしているうちはいいのだけど、ある時期からマイナスとなることもあります。

 

取り巻く環境が変わったり、新しい技術革新があった場合、それを予測できずに無視している『前例』は、時として損をしていたり、害となりえることもあります。

 

過去にその前例で成功体験なんかがあると、余計に前例はパワーを発揮します。その結果、その前例は時代遅れで使えないものになることもあったりします。

 

そこに年配社員が前例を武器として抵抗勢力となるのですから、前例を変えることは本当に大変だと思います。 前例を変えたほうが利益になると思ったときに、抵抗勢力をけちらし、新しいやり方に変えられる人になれればいいのですが、なかなかそんな人にはなれそうもありませんね。

 

だからせめて、抵抗勢力にならずに、その変化をもたらす人を応援できる人になりたいです。年をとったら特にそうですね。

 

 

会社のルール 男は「野球」で、女は「ままごと」で仕事のオキテを学んだ (ミリオネーゼ・シリーズ)

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弱っている人の気持ちは、経験したことがある人にしかわからない

昔、残業が多くて忙しい会社に勤めていたことを書いた。

 

残業代がでる会社が、必ずしもホワイト企業とは限らない - アン・タブチのブログ

 

その会社はすでに退職しているが、その会社を辞めるときは大変だった。最後のほうは肉体的にも精神的にもボロボロの状況で、最後は逃げるように会社を辞めてしまった。

 

よくしてくれた人にもちゃんと挨拶できなかった。大事な仕事を途中で放り投げてしまった。後悔だったり、申し訳ない気持ちだったり、複雑な思い出だ。それは今でも忘れられない記憶となっている。

 

 なかでもよく思い出すのは、一番お世話になった先輩からの言葉だ。今でも忘れたことはない。その言葉と言うのは、「弱っている人の気持ちは、経験したことがある人にしかわからない」というものだった。

 

残業が多いその会社に勤め始めたころ、私はまだ20代前半だった。仕事も半人前で、いわゆる“社会人としての一般常識”もよくわかっていなかった。先輩はそんな自分の指導係だった。仕事のやり方から会社の常識までいろいろと教えてくれた。

 

とはいえ、その先輩自身ちょっとだらしなくて、“社会人としての一般常識”をあまり守らない先輩だったのだが。 本人も“社会人としての一般常識”をよく思っていないらしく、「一応指導係だから言うけど…」という前置きを言ってから指導する。そのせいか、それほど細かく言うわけではなかった。

 

そんな先輩がなぜ指導係だったかというと、それは“仕事が出来るから”に尽きると思う。 営業職ではなかったものの、顧客の懐に飛び込むのが上手で、顧客とフランクな付き合いが出来る人だった。それが時として仇となり、理不尽な要求を受けることもあった。

 

でも、最終的には顧客といい関係を築くことができる人だった。だから、会社としても指導係を担当させていたのだろう。 会社自体は好きではなかったけれど、この先輩のことは尊敬していて、金魚の糞のようにくっついていた。自分とはまったく違うタイプだったけれども、「いつかこうなれたらいいな。」と思える先輩だった。

 

仕事がしんどくなってきても、その先輩にアドバイスをもらったり、手伝ったりしてもらったりして乗り越えることが出来た。

 

3年目のとき、その先輩とは別の部署に異動となった。もう指導係が必要な新人ではなかったし、会社もいい独り立ちの時期だと見たのかもしれない。自分も、立派に仕事をこなして先輩に恩返ししたいなあと思っていた。

 

しかし、新しい部署での仕事は多忙でストレスの溜まるものだった。だんだん気力が奪われていき、仕事が楽しくなくなった。社風や働き方にも疑問が生じてきて、モチベーションが下がる一方だった。

 

気力が失われていくと、ミスも多くなってきてうまくいかないことが増えた。そしてさらにやる気を失っていった。 だんだん自信が失われていくと同時に、体の調子が悪くなった。

 

目が痛い・腹が痛い・体がダルい・頭が痛い・鼻水が出る。日によって悪いところは変わるけれど、常に不調だった。体が調子悪くなると、だんだん気力がなくなってくる。

 

ある朝起きたときに、「もういいや」って思った。「俺はだめ人間だ。社会人失格だ。社会不適合者なんだ。」と思うと、仕事に行きたくなくなった。その日はうそをついて、はじめて仕事をさぼった。

 

負のスパイラルに陥り、本当につらくなってきた。そのときは病院にいっていないけれど、ちゃんと診てもらっていたら「うつ」の病名はついていたかもしれない。

 

そんな状態に我慢が出来ずに、最後は逃げるように会社を辞めてしまった。よくしてくれた人にもちゃんと挨拶できなかった。大事な仕事を途中で放り投げてしまった。 -

 

退職が決まり、ボーっとした毎日を過ごしていた。もちろん、転職先を探す気力もわいてこない。昼まで寝て、ゲームをして、夜中までテレビを見て寝る生活。楽なんだけれど、ちっとも楽しくなかった。

 

そんな毎日を過ごしていると、先輩からメールが来た。「最後に飲みに行こう。」という内容だった。 先輩に合わせる顔がなくて、一度は断った。けれども、先輩は強引に誘ってきた。「もう会わないかもしれないんだぞ。お世話になったと思うなら来い!」

 

約束の居酒屋に行くと、すでに先輩が待っていた。退職までのいきさつや理由を聞かれるかと思っていたけれど、先輩は何も聞いてこなかった。「あそこの部署は空気悪いよな~」とか「うちの会社って変だよな~」なんて自分の会社の悪口を言いながら、酒をぐいぐい飲んでいた。

 

飲み放題の制限時間が迫ってきた。「なぜ先輩は自分を呼んだのだろうか。」「ただ暇だったのかな?」と考えていたら、先輩が急に真顔で話してきた。

 

「お前がいなくなるの本当にさびしいよ。体大丈夫か?」

 

それを聞いたとき、少し泣きそうになった。でも、泣くわけにはいかないから、明るく答えた。

 

「大丈夫ですよ。でも、ちょっと弱っているかもしれないです。」

 

そう言うと先輩は、

 

「お前、いい経験したな。挫折を知らないまま、年をとって管理職になると苦労することになる。なぜなら、弱っている部下の気持がわからないから。わかったような気になっていても、本当はわかっていないことが多い。弱っている人の気持は、弱ったことがある人しかわからないんだ。だから、お前がいつか管理職になったら、きっといい上司になれるよ。」

 

それを聞いたとき、やっぱり泣きそうになった。 おしぼりで汗を拭くようにしてごまかしたけれど。

 

あれからずいぶん経つけれど、自分はまだ管理職をやったことがない(笑)。だから、いい管理職になれるのかどうかはわからないけれど、あのときのアドバイスは役に立っている。

 

弱っている人にはそれなりの理由があり、立ち直るには時間が必要だ。それをそっと見守ることも大事だと思っている。 この記事を書きながら懐かしくなり、その会社のホームページを調べてみた。

 

社名は変わってしまったようだったが、会社は存続していた。儲かっているかどうかはよくわからない。社風は当事のままなのだろうか。 そして会社概要を見てみると、役員一覧に先輩の名前があった。どうやらまだ会社にいて、偉くなっているらしい。たぶん先輩は不本意なんだろうけど。

 

役員という肩書きと、当時の先輩の姿が重ならずイメージが出来ないけれど、どんな偉い人になっているのだろうか。先輩は偉くなったけど、“弱っている人の気持ちがわかる”まま役員になったのだろうか。それはわからないけど、なんとなく先輩はあまり変わっていないような気がしている。

 

 

人の気持ちがわかる人、わからない人~アドラー流 8つの感情整理術~

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残業代がでる会社が、必ずしもホワイト企業とは限らない

無駄に何回か転職してる自分。いくつかの会社を転々としたけど、残業代がでる会社とでない会社があった。残業代がでない会社というのは違法だしあってはならないはずなのに、実際にはありましたよ。というか、中小企業は出ないほうが多い。

 

就活中の学生にとっては、残業代の有無というのは気になるところだろう。残業代のでない会社はブラック企業、でる会社はホワイト企業と呼ばれる。もらえるものはもらいたいし、がんばった分だけ収入が増えるほうがいいに決まっている。でも、実際に経験してみると・・・必ずしもそうでもなかった。

 

残業代のパターン

 

残業代については、会社によって色々なパターンがある。

 

  1. ある時間以上働いた場合、残業代がでる会社 ある時間までは残業代がでる会社
  2. 無制限に残業代がでる会社
  3. まったく残業代がでない会社

 

1は、ある時間以上働いた場合に残業代がでるパターン。例えば、月間30時間の残業をした場合、20時間はみなし残業として給与に含まれていて、10時間分の残業代が支払われる。

 

2は、ある時間までは残業代がでるパターン。例えば、月間30時間の残業をした場合、20時間までは残業代として支払われる。それ以上の10時間分については支払われない。

 

3は、働いたら働いた分だけ残業代がでるパターン。月間30時間の残業をした場合、30時間分の残業代が支払われる。

 

4の残業代がでない会社では、月間30時間の残業をしても1円も残業代がでない。

 

残業代がすべて支払われる会社

 

「残業代がでる会社とでない会社、どちらがいいか?」と聞かれると、多くの人は「でる会社」と答えると思う。確かに、もらえるものはもらったほうが得だ。

 

だが、実際に経験してみると、必ずしも残業代がでる会社のほうがいいというわけではなかった。むしろ、残業代がでない会社のほうがいい場合もある。

 

ある時期、「3.無制限に残業代がでる会社」にいたことがある。その会社は「がんばる人にはそれに応じた報酬を」という考え方のもと、残業した分はすべて残業代が支払われていた。

 

その会社に入社したときは、「残業代が全額支払われるなんて、ホワイト企業だ!」と思っていた。 実際、残業代はでた。入社して最初の月は残業するほど仕事を任せてもらえなかった。その次の月、仕事を任され、残業が20時間あった。すべて残業代としてもらった。その次の月、さらに仕事を任された。残業が30時間になった。・・・どんどん残業が増えていった。

 

入社して3年後。月の残業は180時間になった。平日は終電まで働き、土日も出勤した。その180時間分の残業代はすべてもらえた。給料が倍になるくらいの残業代。

 

そのおかげで、お金には困らなかった。好きなものを買える。 でも、なんだか楽しくなかった。だってお金を使う時間がないんだもん。平日はまっすぐ会社に行って、終わったらまっすぐ帰宅。そして何もせず倒れこむように就寝。休日は一日中ごろごろ。どこにも行かない。だから、お金があっても使い道がない。でもストレスがたまる。

 

そうなると、無駄に買い物がしたくなった。高額なモノを買ってみたり、ブランド物を買ったりしていた。たいした興味がないのに。

 

会社で周りを見渡してみると、 会社に傾倒し、仕事に全精力を注ぎ込むワーカホリック(家庭は破綻していたりする) 残業代欲しさに、無駄に会社に居残る生活残業者(残業代がないと生活が破綻する) がゴロゴロしている。 しかも、そんなのが上司になるのだから、「残業サンセー」「残業しないやつはサボっているやつ。」という考え方が蔓延している。だから、仕事がはやく終わっても帰りにくいことこの上ない。

 

だんだんその職場に疑問がわいてきて、辞めてしまった。 残業代がまったくでない上に長時間労働している人もいるだろうから、そんな人から見たら贅沢なんだろうけど、働いていて満足は出来なかった。楽しくないし、何のために生きているのかわからなくなった。

 

残業代がまったく支払われない会社

 

その会社を辞めたあと転職した会社は、「4.まったく残業代がでない会社」だった。それは実際に会社に行き始めてから知らされて、知ったときは「残業代がまったく支払われないなんて、ブラック企業だ!」「ここにも長く居られないな」と思った。

 

この会社も辞めてしまったが、残業代がでる会社よりも長く勤めることになった。残業代がでる会社よりもストレスが少なかったからだ。残業しても給料は毎月変わらない。残業代がでる会社のときに比べると、5割か6割くらいの収入になった。欲しいものはなかなか買えない。

 

でも、時間は増えた。その会社では残業代がでないのだから、誰しもが仕事が終わったらすぐ帰る。無駄に会社に居残る人もいない。だって、居ても意味ないしね。上司も定時ですぐ帰る。

 

だから、気兼ねして帰れないということもない。もちろん、休日出勤もない。 時間が増えると、いろいろなことが出来た。アフターファイブに友人と飲みに行ったり、本当に欲しかったものを探しに行ったり。

 

お金はないから何でもできるというわけではないけれど、ささやかな楽しみは増えた。休日は遠出したり、疲れていたらゆっくりすることも出来る。

 

時間があるから、スキルアップのために習い事を始めた。そこで出会った人とは今でも仲がよい。残業代がでる会社にいた時は、仕事関係の人としか交流がなかったが、残業代がでない会社に勤めているときは、仕事に関係のない人との交流が増えた。

 

交流が増えるに従い、彼女も出来た。残業代がでる会社のときは、忙しくて別れてしまった。恋愛を楽しむ余裕なんてなかったのだ。

 

どちらがいいかは人次第 私の場合は、残業代がでない会社のほうがよかったが、そこは人次第だろう。会社のビジョンに共感し、会社とともに成長していきたいという人にとっては、残業代がでる会社は満足できるものだったろう。

 

逆に、私のように仕事第一ではなく、プライベートを楽しみたいという人にとっては、残業代がでない会社もブラック企業ではない。 残業代がでるのはいいことだけれど、弊害も生まれやすい。

 

仕事をせずに残業代をもらおうとするフリーライダーもでてくるし、「残業=仕事が出来る人」と考え、退社しにくい状況にする上司も生まれやすい。そのような弊害を回避する施策をしっかり整備している企業もあると思うが、対策などない場合が多い。

 

そんな企業に、「ホワイト企業!」と嬉々として入社するのは危険だ。 バランスが重要 結論。「残業代が全額出る=いい会社」ではない。残業と賃金のバランスがしっかり取れていて、それが社員にとって満足のいくものになることが重要だ。