アン・タブチのブログ

色々と現状を変えたいと思っているひとです

【激論】新入社員の「AI禁止」は本当に正解か?AI時代を生き抜く「基礎体力」の身につけ方


こんにちは。しごできアン・タブチです。

さて、私が日々ブログを執筆しているこのデスクの周りでも、最近はもっぱらAIの話題で持ちきりです。特にビジネスの現場において、ChatGPTやClaudeといった生成AIをどう業務に組み込んでいくか、あるいはどう制限をかけるべきかという議論は、業種を問わず日々白熱していますよね。テクノロジーの進化が早すぎて、現場のルール作りが全く追いついていないというのが実情ではないでしょうか。

新入社員のAI使用禁止令!?

そんな中、最近SNSやビジネスメディアを大きく賑わせている、ある非常にホットなテーマがあります。それが「新入社員のAI使用禁止令」についてです。皆さんもタイムラインなどで一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。このテーマは、AIの活用方法という枠を超えて、「これからの時代における人材育成のあり方」そのものを問う、非常に重要な議論だと私は考えています。

事の発端は、あるIT企業で起きた新入社員の「事件」でした。入社1年目の新人エンジニアが、生成AIに書かせたプログラムコードをそのまま先輩のレビューに提出したところ、なんと830件もの指摘を受けてしまったというのです。結果として、その企業では「3カ月のAI使用禁止令」が下されたと報じられました。また、別の企業では、新人が会議の録音データをAIに放り込んで議事録を自動生成させたものの、専門用語の誤変換や文脈の崩壊だらけで、上司が読み直して一から修正する羽目になり、全く使い物にならなかったという笑えない話も耳にします。

2つの陣営に分かれて意見が激突

こうした事態を受けて、ネット上では大きく2つの陣営に分かれて意見が激突しています。一つは、「AI禁止は時代遅れの愚策だ」と主張するAI推進派の意見です。彼らは、「業務でAIを禁止したところで、プライベートでその便利さを知っている若手は、個人のスマホやPCを使って隠れてAIに頼るようになる。結果的に『シャドーAI』の温床となり、情報漏洩のリスクがかえって高まるだけだ」と警鐘を鳴らします。

さらに推進派は、「AIを使えば1時間で終わる仕事を、手作業で1日かけてやれと命じるような企業からは、優秀な人材が愛想を尽かして逃げていく。電卓を取り上げて筆算を強要するようなものだ」と厳しく批判しています。数年後にはAIを使いこなすことが前提の社会になるのに、今からAIを取り上げてどうするんだ、という未来を見据えた正論ですね。

一方で、現場で実際に新人を指導しているマネジメント層や先輩社員たちからは、全く逆の悲鳴が上がっています。「新入社員のAI禁止を時代遅れと笑う人たちは、現場の残酷な現実を直視していない机上の空論だ」という強烈な反論です。彼らの主張も、現場の最前線にいるからこその圧倒的な説得力があります。例えば、先ほどの「830件の指摘」の件。これを推進派は「指導すればいいだけだ」と軽く言いますが、現場からすれば冗談ではありません。

AIがもっともらしく吐き出した、一見綺麗だけれど根本的なロジックが破綻しているブラックボックスのようなスパゲティコード。これを解読し、どこがどう間違っているのかを正確に洗い出し、830件も言語化して新人に指導する先輩エンジニアの労力は、想像を絶する地獄です。プレイングマネージャーとして自分の業務を抱えながら、そんな途方もない添削作業を押し付けられたら、先輩社員の方が先に倒れてしまいます。ゼロから稚拙なコードを新人に書かせた方が、よっぽど思考プロセスが透けて見えて指導しやすいというのは、紛れもない現場のリアルな本音でしょう。

「基礎がない人間にAIを使わせるのは、魔法の杖どころか無知の拡大再生産にしかならない」「禁止は罰ではなく、若手が自力で歩けるようになるための基礎体力を育む、愛のある保護である」。現場で泥水にまみれながら教育をしている人たちのこの言葉には、確かな重みがあります。私自身も、過去に後輩の指導で「なぜこの結論に至ったのかプロセスが全く見えない」と頭を抱えた経験があるので、このマネジメント層の切実な気持ちは本当に痛いほどよくわかります。

「AI禁止」にしたところで、根本的な解決にはならない!?

しかし、両者の意見をじっくりと読み解き、様々な企業の事例を見てきた上で、私「しごできアン・タブチ」はあえてここで断言させていただきます。新入社員を「AI禁止」にしたところで、根本的な解決には何一つ結びつきません。むしろ、企業にとって将来的な競争力を根こそぎ奪う、致命的なリスクすら孕んでいると考えています。

誤解しないでいただきたいのですが、私は「だから新人に無制限にAIを使わせろ、失敗してもいいからどんどんやらせろ」という無責任な極論を言いたいわけではありません。現場の先輩たちの血のにじむような苦労を無視して、「AIを使わないなんて時代遅れだ」と高みの見物で切り捨てるつもりも毛頭ありません。私がここで明確にしておきたいスタンスは、「AI時代を生き抜くための『基礎体力』は、AIから遠ざけることではなく、AIと格闘させる中でしか養われない」ということです。

現場の先輩たちが言う「まずは手作業で苦労して、基礎を身につけさせるべきだ」という主張。一時的にAIを取り上げて「手作業の苦痛」を味わわせることが、本当にこれからの時代に必要な基礎力の構築に繋がるのでしょうか。私は、ここを根本から疑ってみる必要があると思っています。

北国式、雪かきに例えると

ここで、例え話をさせてください。冬といえば、過酷な「雪かき」が日常茶飯事です。一晩で数十センチ、時には一メートル近く積もる雪を前に、私たちはスコップやスノーダンプを使って、凍える寒さの中で腰を痛めながら必死に雪をどかします。そんな中、強力なエンジンで雪を遠くまで吹き飛ばしてくれる「除雪機」は、まさに魔法のような機械であり、雪国の救世主です。

さて、ここで皆さんに質問です。「除雪機を安全かつ効率的に使いこなすためには、まず最初の数年間は除雪機の使用を禁止し、スコップだけで雪かきをして、雪の重さや腰への負担、雪山の崩れやすさを体感しなければならない」と言われたら、どう思いますか?確かに、手作業の苦労を長年経験しているベテランは、雪の性質を肌感覚で熟知しているでしょう。スコップでの雪かきの辛さを知っているからこそ、除雪機のありがたみもわかるはずです。

しかし、スコップで何年雪かきをしたところで、除雪機のオーガ(回転刃)に氷の塊が挟まった時の対処法や、シューター(雪の吹き出し口)の角度を間違えて隣の家の窓を割ってしまう危険性を予測するセンスが、自然に身につくわけではありません。除雪機には、手作業のスコップとは全く次元の違う、除雪機特有の操作方法があり、特有の危険が潜んでいます。それを学ぶためには、最初から指導者のもとで除雪機のエンジンをかけ、実際に雪を飛ばしながら、その圧倒的な威力と一歩間違えれば大事故に繋がる恐ろしさを体感するしかないのです。

AIと新入社員の関係も、これと全く同じ構造だと思いませんか。「手作業でゼロから議事録をまとめたり、コードを書いたりする苦労を経験しなければ、AIの出す『もっともらしい嘘(ハルシネーション)』を見抜くセンスは育たない」という現場の主張は、一見すると非常に筋が通っているように聞こえます。しかし、手作業の苦労を知っているからといって、AIの巧妙な嘘を見抜けるとは限りません。

「AIとの泥臭い格闘」が重要

AIがどのような文脈で論理を飛躍させるのか、どのような曖昧なプロンプトを入力すると存在しない法律や架空のデータをでっち上げるのか。そうした「AIの癖」や「嘘の傾向」を見抜く力は、手作業の延長線上には存在しないのです。本当に必要な「検算のセンス」は、AIに何度も出力させ、その結果を自分の目で疑い、公式なドキュメントや一次情報と照らし合わせて検証し、さらにプロンプトを修正して再出力させるという、「AIとの泥臭い格闘」を通してしか磨かれないのです。

つまり、私たちが直視しなければならないのは、AI時代における「基礎体力」の定義そのものが、すでに大きく変わってしまっているという現実です。「自力でゼロから作り上げる力」から、「AIという強力な相棒の出力を検証し、軌道修正しながら共にゴールを目指す力」へと、求められるスキルの本質がシフトしているのです。この現実を受け入れずに、過去の成功体験である「手作業の苦痛」を新人に強要するのは、教育ではなく単なるノスタルジーの押し付けになってしまいます。

では、あの「830件の指摘をする先輩の地獄」はどう解決すればいいのでしょうか。先輩社員を過労死させないための防衛策として、AIを禁止するのは仕方がないことなのでしょうか。いいえ、違います。問題の本質は、「新人にAIを使わせたこと」自体にあるのではありません。「AIが生成したものを、検証もせずに『答え』としてそのまま提出することを許容してしまった業務プロセス」にこそ、最大の欠陥があるのです。

基礎知識がないままAIに業務を丸投げし、出てきたものを右から左へ流せば、大事故に繋がるのは火を見るより明らかです。私たちが直面しているのは、「AIを使わせるか、使わせないか」という思考停止の二元論ではありません。「いかにしてAIを『答え』ではなく『素材(叩き台)』として扱わせるか」という、組織のガバナンス(統制)と教育設計の欠如こそが、真の課題なのです。

先進的な企業は、すでに「禁止か許可か」という不毛な議論の先を行く教育を実践しています。例えば、ある会計事務所では、新人に同じ課題を「AIあり」と「AIなし(手作業)」の両方で取り組ませ、それぞれの結果とプロセスを比較させる研修を行っているそうです。これなら、従来の手作業による基礎の型を身につけつつ、AIの得意な領域と不得意な領域を体感的に学ぶことができます。

また、あるIT企業ではAIの利用を全面的に許可する代わりに、「どのAIツールを使ったか」「どんなプロンプトを入力したか」「出力された結果に対して、自分の頭でどう検証し、どこをどう修正したか」を詳細に記録する『AI活用レポート』の提出を義務付けているといいます。これこそが、まさにAI時代に求められる「思考プロセスの可視化」です。

もし新人が、AIに書かせただけのスパゲティコードをそのまま提出してきたら、先輩は830件もコードの添削をする必要はありません。「このコードが正しく動くという根拠はどこにあるの?」「AIの出力をどうやって検証したの?その検証プロセスをレポートで説明して」と、入り口の段階で突き返せばいいのです。AIの出力を検証し、修正するのは先輩の仕事ではなく、新人の仕事です。それを徹底させることこそが、新しい時代の「基礎教育」のあり方なのです。

現場派の意見の中に「ルールを守れない若手に迎合する必要はない」というものがありました。個人のスマホで勝手に機密情報をAIに入力するような新人は言語道断であり、それを「シャドーAIの温床になるから」と容認するのはコンプライアンスの敗北だという主張です。これも全くその通りです。セキュリティ意識の低い行動は厳しく罰せられるべきです。

しかし、だからこそ企業は「全面禁止」という臭いものに蓋をするような安易な対応ではなく、明確なガイドラインを策定し、情報漏洩のリスクがない安全な法人向けAI環境を整備した上で、「正しい使い方」と「絶対にやってはいけないこと」を徹底的に教育しなければならないのです。シャドーAIが生まれるのは、若手がルールを守れないからだけではありません。企業側が現実から目を背け、時代に合わない不便なルールを押し付けているからこそ、ルールが形骸化していくのです。ガバナンスを効かせるというのは、禁止することではなく、正しく管理して使わせるということです。

AIは魔法の杖ではない

AIは、人間の労働を無条件に解放してくれる魔法の杖ではありません。人間の処理能力を何百倍にも拡張する「増幅装置」です。優秀な人間が使えば成果は爆発的に伸びますが、基礎力のない人間が使えば「大量のゴミ」と「甚大なミス」をハイスピードで量産するだけです。だからといって、この未知の増幅装置から若手を遠ざけ、無菌室のような環境で手作業だけを教え込むのは、あまりにも残酷な仕打ちだと言わざるを得ません。

数年後、彼らが中堅社員になったとき、ビジネスの現場は「AIエージェント」が自律的にタスクをこなし、人間はAIを束ねるディレクターとしての役割を求められる時代に突入しているでしょう。その時に「手作業しか知りません」「AIへの適切な指示の出し方も、出力の検証方法もわかりません」という人材を抱えて、一体どうやってグローバルな厳しい競争を勝ち抜くつもりなのでしょうか。「禁止」は、一見すると愛のある保護のように見えますが、長期的には若手から未来のサバイバルスキルを奪う結果にしかならないのです。

企業が今すぐやるべきことは、オフィスの壁に貼られた「新入社員のAI禁止令」という張り紙を静かに剥がすことです。そして、AIを使いこなすための適切な活用ガイドラインを敷き、プロンプトの提出を義務付け、出力の根拠を徹底的に問いただす、新しい教育プロセスを構築することです。

最初は手作業以上に時間がかかり、教える側の先輩も、教えられる側の新人も、お互いに大きな苦労を伴うかもしれません。しかし、その泥臭いプロセスを経なければ、真の力は身につきません。AI時代を生き抜くための「基礎体力」は、AIから遠ざけることではなく、AIと格闘させる中でしか養われないのだから。

これが、札幌の片隅からビジネスの最前線を見つめる私、しごできアン・タブチの結論です。皆さんの職場では、AIとどう向き合っていますか?未知のツールを恐れて禁止するのではなく、共に悩み、共に格闘しながら、新しい時代の基礎力を育てていく。そんな前向きで建設的な議論が、一つでも多くの企業で巻き起こることを願ってやみません。それでは、今日はこの辺で。

【激論】「Excel職人」と「AI使い」が会社を狂わせる? 個人の工夫に依存する“野良DX”の恐るべき代償


こんにちは!北海道札幌市に住むブロガー、しごできアン・タブチです。最近の札幌は、幾分か暖かくなり、春ももうすぐという感じですね。とはいえ、大通公園を歩いていると、まだ冷たい風に思わずコートの襟を立ててしまいます。皆さんがお住まいの地域はいかがでしょうか。まだまだ温かいコーヒーが美味しい今日この頃、体調管理には十分気を付けてお仕事に取り組んでいきましょう。

さて、私が普段から発信しているこのブログでは、ビジネススキルや業務効率化、そして最新のITトレンドについて、現場のリアルな視点から切り込んでいます。

本日のテーマは、最近ビジネス界隈でよく耳にする「DX(デジタルトランスフォーメーション)」、特に現場レベルで急増している「個人の工夫に依存した業務効率化」についてです。皆さんの職場にもいませんか?独学で複雑なExcelマクロ(VBA)を組んでくれる頼もしい先輩や、最近流行りの生成AIを駆使してあっという間にプログラミングコードを書いてしまう優秀な若手社員が。彼らの存在は、現場にとってどう映るでしょうか。

彼らは一見すると、現場の救世主です。毎月末に何時間もかかっていた面倒な手作業のデータ集計を、ボタン一つで終わらせてくれる「魔法のツール」を生み出し、部署の残業時間を劇的に減らしてくれる存在。まさに現場主導で小回りの利く、理想的な業務効率化を体現しているように見えますよね。しかし、コラムニストとして、また数々の企業の盛衰を間近で見てきた視点から、私はあえてここで明確なスタンスを取りたいと思います。

結論から申し上げましょう。「組織的ではない、個人レベルに依存したDXや業務効率化は、極めて危険である」というのが私の強い主張です。現場の社員が自発的にExcelマクロを組んだり、AIにコードを書かせたりして日々の業務を自動化する、いわゆる「野良DX」。これは、会社の下に静かに、しかし確実に時限爆弾をセットするようなものなのです。

もちろん、こんなことを言うと、あちこちから反論の声が飛んでくることは百も承知です。「現場の自発的な改善意欲を削ぐべきではない!」「予算をかけずにすぐ始められる手軽さは大きなメリットだ!」「組織的なお墨付きを待っていたら、変化の激しい現代では遅すぎる!」といったご意見ですね。特に最近は、「野良DXを狩る企業は生き残れない」「全体最適の呪縛が現場の熱意とスピードを殺す」という論調も目にするようになりました。

確かに、美しい全体最適ばかりを気にして、現場の熱意やスピード感を殺してしまうのは本末転倒です。現場の社員からすれば、「根本的な業務の棚卸しが必要なのは百も承知だが、今日の午後までにこの無駄なレポートを出さなければならないんだ!」というのが痛切なリアルでしょう。目の前の火事を消すためのバケツリレーを禁止して、数年後に完成する立派なスプリンクラーを待てというのは、あまりにも現場の痛みを無視した暴論に聞こえるかもしれません。

しかし、だからといって「個人の工夫」を「組織的な仕組み」に昇華させないまま放置しておくことは、長期的には企業にとって致命的なリスクをもたらします。一時的な痛みを和らげるための痛み止めが、気づけば組織の体を蝕む猛毒に変わってしまうのです。その理由は、大きく3つの「リスク」に集約されます。なぜ私がここまで強い危機感を持っているのか、順を追って詳しく解説していきましょう。

1. 「属人化」という名のブラックボックス

最大の危険は、業務プロセスが特定の担当者にしか理解できない「ブラックボックス」と化すことです。プログラミングの知識を持つ特定の「Excel職人」や「AI使い」が構築した複雑なマクロは、作成者本人にしか解読できない独自のルールや変数名で作られがちです。彼らが部署にいる間は「魔法のツール」として重宝されますが、異動や退職をした瞬間、誰もメンテナンスできない「負の遺産」へと豹変します。

ここで、「いやいや、今は生成AIの時代だ。属人化なんて古い常識だ」という反論があるかもしれません。「前任者が残したスパゲッティ状態の複雑なVBAコードでも、ChatGPTやClaudeに読み込ませて『解説して』と指示すれば、数秒で解読して修正案を出してくれるじゃないか」と。確かに、AIの進化によってコード自体の解読コストは劇的に下がりました。AIという最強の「翻訳者兼メンテナー」を手に入れた今、属人化のリスクは下がったように錯覚してしまいます。

しかし、ビジネスの現場において本当に恐ろしいのは、コードが読めないことではありません。「なぜその処理が必要だったのか」という業務の背景やビジネスロジックが失われることなのです。例えば、「なぜか毎月5日のデータだけ特定の係数を掛けて除外する」という謎のコードがあったとします。AIは「このコードは5日のデータに係数を掛けて除外する処理です」と正確に教えてくれますが、「なぜその係数なのか」「なぜ5日なのか」という過去のイレギュラーな商習慣や顧客との口約束までは教えてくれません。

結果として、OSのアップデートや基幹システムのわずかな変更、あるいはデータ形式の変更でエラーが起きたとき、AIに修正コードを書かせたとしても、それがビジネス的に正しい挙動なのか誰も判断できないのです。誰も安全に手出しができず、最悪の場合は業務そのものが完全にストップしてしまいます。AIはコードを翻訳できても、失われた組織の記憶までは復元できないということを忘れてはいけません。

2. 「部分最適」による無駄の再生産

次にお話ししたいのが、個人の視点で行われる自動化の限界です。現場の社員が自発的に行う業務効率化は、どうしても「自分の目の前にある作業を楽にすること」が目的になりがちです。これは人間の心理として当然のことですし、それ自体を責めることはできません。しかし、本当に必要なDXとは、「その業務自体がそもそも必要なのか?」という根本的な棚卸しから始まるべきなのです。

例えば、誰も読んでいない形骸化した報告書があったとします。毎月何時間もかけて作っていたこの報告書を、優秀なAI使いがPythonを使って一瞬で作成できるようにしました。現場は大喜びです。しかし、冷静に考えてみてください。これは「無駄な作業を効率よく行っている」だけであり、本質的な生産性向上には1ミリもつながっていません。むしろ、「一瞬で作れるから」という理由で、その無駄な報告書が永遠に残り続けることになります。

これは、私たち北海道民にとって身近な「雪かき」に似ています。自分の家の前の雪を、とにかく早く片付けたいからといって、隣の家の敷地や公道にポイポイと雪を投げていたらどうなるでしょうか。一時的に自分の前は綺麗になっても、地域全体で見れば道幅が狭くなり、交通渋滞やご近所トラブルの原因になります。本当に必要なのは、市町村が計画的に除雪車を出し、雪を捨てる場所を確保する「全体最適」の仕組みです。

組織的な視点を持たずにツールの導入に走ると、これと同じように非効率なプロセスを固定化してしまう危険性があります。部分最適の積み重ねが、必ずしも全体最適にはならない。むしろ、無駄な業務フローを強固なシステムとして定着させてしまうというジレンマに陥るのです。

3. シャドーITとセキュリティの脆弱性

3つ目のリスクは、企業にとって最も致命傷になりかねない「セキュリティの脆弱性」です。個人が勝手に導入したマクロや、AIを使ってインターネット上からコピペしてきたプログラムには、目に見えないリスクが潜んでいます。悪意のあるコードが含まれていてマクロウイルスに感染するリスクはもちろんのこと、もっと身近で恐ろしいのは「データの取り扱い」に関する問題です。

最近の生成AIは非常に優秀ですが、使い方を一歩間違えると大惨事を引き起こします。例えば、業務を効率化しようと焦るあまり、顧客の個人情報や会社の機密データがたっぷり詰まったExcelファイルを、そのまま外部の無料AIサービスにアップロードして処理させてしまったらどうなるでしょうか。AIの学習データとして取り込まれてしまう可能性があり、意図せず重大な情報漏洩を引き起こし、企業の信用を根底から揺るがす事態になりかねません。

さらに、AI特有の「ハルシネーション(もっともらしい嘘)」によるデータ汚染のリスクもあります。エラーが発生しても誰も気づかず、もっともらしい顔をして出力された誤ったデータが社内を流通してしまう。そして、その誤ったデータに基づいて経営陣が重大な意思決定を行ってしまう恐れすらあるのです。組織のガバナンスが効かない「野良アプリ」や「野良マクロ」が社内に蔓延することは、決して「現場のスピード感」という言葉で正当化してはいけない、企業にとっての致命的なリスクなのです。

「個人の工夫」を「組織の資産」へ変えるために

ここまで厳しいことを申し上げてきましたが、誤解していただきたくないことがあります。私は決して、「現場の社員が業務を改善しようとする熱意」を否定しているわけではありません。むしろ、現場が自分たちの手で業務をハックしていく「野良のエネルギー」は、これからの企業が生き残るために絶対に不可欠なものです。危険なのは、その素晴らしい熱意を「個人の手柄」や「個人のスキル」に留めてしまう、組織側の怠慢なのです。

「野良DX」をガバナンスという名目で頭ごなしに禁止して、現場のモチベーションを下げてしまっては元も子もありません。「そんな面倒な手続きが必要なら、今まで通り手作業で残業して終わらせよう」となってしまえば、企業の成長は止まります。では、この危険を回避しつつ、現場のエネルギーを最大化するにはどうすべきでしょうか。

まずは、属人化を防ぐための「標準化とドキュメント化」です。ガチガチの分厚いマニュアルを作れと言っているわけではありません。誰が作っても後任者が最低限理解できるように、ファイルや変数の命名規則を統一し、処理の流れ(ジョブフロー)をシンプルな図で可視化するルールを設けるのです。これだけでも、属人化のリスクは大幅に軽減されます。

次に、「脱・属人化ツールの選定」です。ITリテラシーが一部の社員に偏っているならば、プログラミング知識がなくても直感的に操作できるRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)や、複数人で管理しやすいクラウド型のノーコードツール(Google WorkspaceのAppSheetやkintoneなど)への移行を組織的に支援すべきです。

もちろん、「ノーコードツールを導入しても、結局それが『野良kintone』になって属人化するだけだ」という指摘があるのも事実です。だからこそ、ツールを導入して終わりではなく、それを管理・運用するための「組織的な仕組み」が必要なのです。情報システム部門と現場が対立するのではなく、伴走しながら一緒に業務フローを見直していく「推進チーム」を作ることが重要です。

現場には「部分最適でもいいから、まずは自分たちで楽になる体験」を積ませてあげること。そして、そこから生まれた小さな成功事例を、組織全体が拾い上げ、セキュリティやガバナンスのガードレールを敷いた上で、全体最適の視点で磨き上げていくこと。真のDX(デジタルトランスフォーメーション)とは、個人のスーパーマンに頼ることではなく、誰もが一定の品質で業務を遂行し、変化に柔軟に対応できる「持続可能な仕組み」を作ることです。

さて、ここまで読んでくださった皆さんに、最後に一つ問いかけたいと思います。今、あなたの会社で便利に動いているそのExcelマクロやAIのスクリプトは、組織の「資産」と呼べるものでしょうか? それとも、いつ爆発するかわからない、誰にも止められない「時限爆弾」でしょうか?

もし後者であるならば、今すぐ行動を起こす必要があります。今こそ、属人化された“野良DX”から脱却し、組織全体を見据えた本質的な業務改革へと舵を切るべき時なのです。現場の素晴らしいアイデアと熱意を、ルールで縛り付けて駆除するのではなく、本当の意味で会社を強くするための武器に変えていきましょう。

今回も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!この記事が、皆さんの職場の業務改善やDX推進のヒントになれば、ブロガーとしてこれ以上の喜びはありません。もし「うちの会社ではこんな対策をしているよ!」といった事例があれば、ぜひコメント欄やSNSで教えてくださいね。それでは、また次回の記事でお会いしましょう。札幌から、しごできアン・タブチがお届けしました!

【激論】その「使えねえ」は敗北宣言。新年度、私たちベテランこそが「組織のOS」をアップデートすべき理由。


その「使えねえ」という言葉、実はあなたの「敗北宣言」です。

こんにちは、札幌で働くブロガー、しごできアン・タブチです。 北海道もようやく雪解けが進み、春の足音が聞こえてきました。もうすぐ新年度ですね。 皆さんのオフィスも、新しい風が吹き込む準備で慌ただしくなっている頃ではないでしょうか。

さて、桜の開花とともに、日本のビジネス街で毎年のように繰り返される「ある呪いの言葉」があります。 居酒屋で、喫煙所で、あるいはSlackのDMで、亡霊のように囁かれるあの言葉です。

「今年の新人は、使えねえ」

私はこの命題に対し、そして一人のビジネスパーソンとして、明確に「否定(NO)」のスタンスを取ります。

より正確に言うならば、「『新人が使えない』と嘆くことは、マネジメント側の『育成計画の欠如』と『コミュニケーション不全』を自白しているに過ぎない」という立場です。

「またその手の綺麗事か」と思いましたか? いいえ、これは精神論ではありません。行政の会議録や予算の構造という、極めてドライな「エビデンス」から導き出される論理的な帰結です。

今年こそ、この非生産的な言葉をオフィスから一掃しましょう。 その理由を、少し意外な角度から紐解いていきます。

1. 「連携」なきところに「機能」なし

まず、東京都の「高度IT社会の工業高校に関する有識者会議」という、少し堅い議事録に目を向けてみます。

この中で、データ連携や企業連携の難しさが語られているのですが、その文脈で新入社員に対して「ひと月に一回くらい声をかけながら」という記述が見られます。

ここに、日本の組織が抱える根深い病巣が透けて見えませんか? 「ひと月に一回」の声掛けで、人間関係や信頼関係が構築できると思っているなら、それは大きな間違いです。

今の時代、デジタルデータ同士の連携(API連携など)でさえ、仕様書を読み込み、認証キーを渡し、エラーハンドリングを設計するという高度なプロセスが必要です。

ましてや、複雑な感情と独自の背景を持つ「人間」です。 ただマニュアルを渡して「あとはよろしく」、たまに「元気?」と声をかけるだけで機能するはずがありません。

「使えない」という言葉の裏には、「(俺の思った通りに、俺の手を煩わせずに、勝手に動いてくれないから)使えない」という傲慢さが隠れています。

彼らが機能しないのは、彼らの能力の問題ではありません。

組織という巨大な回路に彼らを接続するための「連携コスト」を、上司であるあなたがケチっているからです。

「見て覚えろ」が通用したのは、業務が単純で、かつ終身雇用という「時間の担保」があった昭和の時代だけです。

2. 予算なき「新人運用」は、設計図なき工事と同じ

次に、視点を少し変えて、地方自治体の動きを見てみましょう。 新年度に向けた「予算の執行」「道路築造」「病院事業経営計画」について、非常に緻密な議論が交わされていることがわかります。

自治体は、道路一本通すため、病院を運営するために、何年も前から計画を立て、議会の承認を得て予算を確保し、厳密なスケジュールで動いています。 インフラ整備にはこれほど慎重で、計画的なのに、なぜ企業の「人的インフラ」である新入社員に対しては、これほど無計画なのでしょうか?

多くの現場で起きているのは、「予算も設計図もないのに、立派なビルが建たない!」と現場監督が怒鳴り散らしているような状況です。

新人が即戦力にならないのは当たり前です。

彼らが育つまでの期間を「投資期間(赤字期間)」として、あなたの部署は予算化できているでしょうか?

育成にかかる先輩社員の工数を、あらかじめ業務計画に組み込んでいるでしょうか?

もし、育成担当者が「自分の仕事が忙しくて教える暇がない」と嘆いているなら、それは新人のせいではありません。

その「経営計画の甘さ」を棚に上げて、個人の資質を責めるのは筋違いです。

道路を作るのに「コンクリートが勝手に固まってくれない」と文句を言う現場監督はいません。 必要なのは、適切な養生期間と、それを支えるリソースの配分です。

3. 「アップデート」を拒絶するな

そして最後に、私たちベテラン側の「OS」の問題です。 新年度は、組織のOSをアップデートする絶好のタイミングです。

「最近の若者は……」「言われたことしかやらない……」と口にする時、あなたは「Windows 95の操作感」を「Windows 11」のPCに求めていないでしょうか?

彼らは、デジタルネイティブであり、効率を重視し、ハラスメントに対して敏感な、現代社会に最適化された「最新のデバイス」です。

彼らが「使えない」のではありません。 最新のデバイス(新人)に対して、あなたの持っているドライバ(指導法やコミュニケーション手法)が古すぎて、正しく認識しないだけなのです。

「俺たちの若い頃は」という古いドライバを無理やりインストールしようとすれば、システムはクラッシュします。 それが「早期離職」や「メンタル不調」という形のエラーです。

悪いのはデバイスではありません。 互換性を確認せず、アップデートを怠ってきたユーザー(私たち)側に責任があるのです。

結論:今年度からの新しい習慣

ここまで厳しいことを言ってきましたが、私も現場の人間として、新人にイラッとする気持ちは分かります。

ですが、今年度はその感情をグッと飲み込み、「あいつは使えない」と言いそうになったら、その言葉を脳内でこう変換してください。

「私のマネジメント技術では、彼のポテンシャルを引き出せていない」

主語を「彼ら」から「私」に変えること。 それが、新年度を素晴らしいものにするための第一歩です。 これは自虐ではありません。プロフェッショナルとしての「責任の引き受け」です。

ある「犬の散歩日記」の記事を読みました。

そこには、日々の散歩での小さなトラブルや発見を通じて、飼い主と犬が信頼関係を築いていく様子が描かれていました。

ビジネスも同じです。

最初はリードを引っ張り合い、思わぬ方向に走り出すこともあるでしょう。 しかし、根気強く向き合い、こちらの意図を伝え、相手の特性を理解すれば、年末には「おかげで大満足で今年を終えられそうだぜ!」と互いに笑い合える関係になれるはずです。

まずは私たちベテラン側から、不機嫌なレッテル貼りを終わりにしましょう。 新人は消費して「使う」ものではなく、時間をかけて「育ち」、そして未来を「共に創る」パートナーです。

その覚悟がない組織に、彼らを評価する資格はありません。 札幌の空の下、皆さんの新年度が、希望と成長に満ちたものになることを願っています。 現場からは以上です。

【激論】「全社員プロ意識」なんて幻想は捨てろ!経営者の怠慢を隠す「やりがい搾取」の正体と、凡人が輝く組織論


どうも、札幌でブログを書いているしごできアン・タブチです。

 

最近、SNSやビジネス書界隈を見ていると、ちょっと息苦しくなりませんか? 「全社員が経営者目線を持て」「プロ意識を持って仕事に取り組め」「圧倒的当事者意識を」……。

 

経営者や人事担当者の方々が、目をキラキラさせながら(あるいは目を血走らせながら)こういう言葉を語っているのをよく見かけます。 耳障りはすごく良いんですよね。全員がプロフェッショナルで、全員が自律的に動く組織。まさに理想郷です。

 

でも、今日はあえて空気を読まずに、コラムニストとして断言させていただきます。 「全社員がプロ意識を持つ」なんてことは、実現不可能な『幻想』であり、組織を疲弊させる『有害な呪文』でしかありません。

 

「えっ、アン・タブチさん、意識低い系ですか?」と思われたかもしれません。 違います。これは「意識」の問題ではなく、極めて現実的な「生存戦略」の話なんです。 今回は、提示された資料や現代の労働環境における洞察をもとに、なぜ私が「全社員プロ意識不可能説」を唱えるのか、その理由を徹底的に、そして論理的に解説していきたいと思います。

 

コーヒーでも飲みながら、少し肩の力を抜いて読んでみてください。 読み終わる頃には、きっと「なんだ、今のままでいいじゃん」と、少し気持ちが楽になっているはずですから。

 

1. 「富山は東京になれない」―人間という生き物の多様性を直視せよ

 

まず最初に触れたいのは、私たち人間という生き物の「多様性」についてです。 みなさん、自分と同じ熱量で、自分と同じスピードで、全員が走れると思いますか?

 

ここで一つ、非常に興味深い視点をご紹介しましょう。 富山市の「文化創造都市ビジョン」に関する資料の中に、こんな至言があります。 「日本人はアメリカ人にはなれない。東京には東京の文化があり、富山には富山の文化がある」

 

これ、めちゃくちゃ本質を突いていると思いませんか? 都市に個性があるように、人間にも個性があります。 組織の中には、自ら薪をくべて燃え上がる「自燃型」の人間もいれば、誰かに火をつけてもらって燃える「可燃型」の人間、そして何をどうしても燃えない(でも土台としてしっかり支えてくれる)「不燃型」の人間もいるんです。

 

それなのに、多くの企業は「全社員プロフェッショナル化」というスローガンのもと、全員に「東京になれ」「アメリカ人になれ」と強要しているように見えます。 指示された業務を淡々と、正確にこなすことに安らぎや適性を感じる人に対して、「もっと熱くなれ!」「経営について考えろ!」と迫る。 これは、富山の豊かな自然や独自の文化を否定して、「なぜ新宿のような高層ビルを建てないんだ!」と怒鳴っているようなものです。

 

個性を無視した画一的な「プロ意識」の強要は、多様性が叫ばれる現代において、完全に逆行する思想です。 全員がエースストライカーである必要はありません。 ゴールを守る人もいれば、ベンチで声を出す人もいる。用具係として淡々と準備をする人がいるから、試合が成立するんです。 「全員がストライカーの意識を持て」なんて言ったら、誰がゴールを守るんでしょうか?

 

組織運営において最も重要なのは、個々の特性を活かす適材適所であって、全員の精神構造を同じ金型にはめ込むことではないはずです。 「プロ意識を持てない社員がいる」ことはバグではなく、人間の仕様(スペック)であり、健全な多様性の証拠なんですよ。

 

2. 報酬なきプロ意識の強要は、美しい言葉で飾った「搾取」である

 

次に、もう少しシビアな「お金」の話をしましょう。 ここが一番、多くのビジネスパーソンがモヤモヤしている部分ではないでしょうか。

 

「プロ意識」という言葉を使う時、本来であればそこには「プロとしての対価」がセットでなければなりません。 プロ野球選手が高いプロ意識を持っているのは、彼らが卓越したスキルを持ち、それに見合う高額な年俸をもらっているからです。 スキルと成果、そして報酬。このトライアングルが成立して初めて、「プロ」という契約が成り立ちます。

 

しかし、現代の日本企業で起きていることはどうでしょうか。 経団連に関連する資料「中間層復活に向けた経済財政運営の大転換」などを読み解くと、長引くデフレと賃金の停滞、そして中間層の衰退という厳しい現実が浮き彫りになります。 非正規雇用や有期雇用といった雇用形態の格差も深刻です。

 

そんな状況下で、経営者はこう言います。 「給料はまだ上げられないけど、プロ意識を持って働いてほしい」 「雇用形態に関係なく、全員が経営者目線で」

 

はっきり言わせていただきます。 それは「搾取」です。もっと言えば、「やりがい搾取」の極みです。

 

「賃金は並(あるいはそれ以下)だが、意識だけは一流であれ」という要求は、スーパーで100円のカップ麺を買って、「なぜ高級フレンチの味がしないんだ!」とクレームをつけているのと変わりません。 対価を払わずに過剰なサービスを求めることを、ビジネスの世界では「不当な要求」と呼びますよね? なぜか労働契約になると、それが「教育」や「精神論」として美化されてしまうんです。

 

労働市場の流動化が進んでいる今、優秀な人材ほどこの矛盾に敏感です。 「あ、この会社は対価に見合わないプロ意識を求めてくるな」と判断された瞬間、彼らは静かに去っていきます。 残るのは、他に行く当てがない人か、過剰な要求にも耐えてしまう自己犠牲的な人だけ。 それでは組織の力は落ちていく一方です。

 

プロ意識を求めるなら、まずはプロとしての待遇を用意する。 それができないなら、相応の働き方で良しとする。 この等価交換の原則を無視して精神論を振りかざすのは、経営の怠慢以外の何物でもありません。

 

3. 「意識」で構造的欠陥は補えない―精神論への逃避をやめよう

 

3つ目の理由は、組織マネジメントと構造の問題です。 うまくいかないプロジェクトや倒産する企業の事例を見ると、ある共通点が見えてきます。

 

総務省の「第三セクター改革等先進事例集」を見てみてください。 そこには、経営破綻や解散に追い込まれた数多の組織の屍が並んでいます。 では、これらの失敗の原因は、現場の職員の「プロ意識」が足りなかったからでしょうか? 彼らがもっと気合を入れて、もっと経営者目線で働いていれば、破綻は防げたのでしょうか?

 

答えは「否」です。断じて違います。

 

多くの場合、失敗の原因はもっと冷徹で構造的なものです。 需要予測の甘さ、ガバナンスの欠如、市場変化への不適応、ビジネスモデル自体の賞味期限切れ……。 これらはすべて、現場の個人の「意識」でどうにかできるレベルの話ではありません。 沈みかけている船で、船員たちがどれだけ高いプロ意識を持って必死にバケツで水を汲み出しても、船底に空いた巨大な穴が塞がらなければ、船は沈むんです。

 

私が一番危惧しているのは、「全社員がプロ意識を持てば会社は良くなる」という発想が、経営者の「逃げ口上」に使われていることです。 業績が悪いのは、社員の意識が低いからだ。 ミスが起きるのは、当事者意識が足りないからだ。

 

そうやって個人の精神論に責任を転嫁している間に、本来経営陣が取り組むべき「構造的な欠陥の修正」や「勝てる戦略の立案」がおろそかになっていませんか? システムが壊れているのに、人の頑張りでカバーしようとする組織は、いつか必ず破綻します。 「意識」という目に見えない、測定できないものに頼るのではなく、誰がやっても一定の成果が出る「仕組み」を作ること。 それこそが、本来の経営の仕事はずです。

 

結論:プロ意識を持たない社員がいても回る仕組みこそが「プロの仕事」

 

ここまで、少し強い言葉で「全社員プロ意識」を否定してきました。 ただ、誤解しないでいただきたいのは、私は「不真面目でいい」「サボってもいい」と言っているわけではありません。 「契約に基づいた業務を誠実に遂行する」ことと、「全人格を仕事に捧げるようなプロ意識を持つ」ことは、似て非なるものです。

 

私たちは、契約した時間内において、契約した業務をこなす義務があります。 それは「職業人としての誠実さ」です。 しかし、それ以上の「経営者目線」や「自己犠牲を伴う献身」は、あくまでオプションであり、個人の自由意志に委ねられるべき領域です。

 

「新現役交流会を契機とした課題解決事例集」のような資料を見ると、適切なメンターとの出会いや環境の変化によって、結果として意識が変わり、見違えるように活躍する社員の事例も確かにあります。 でもそれは、あくまで「結果」なんです。 良い環境、良い仕組み、良い指導があった結果として、社員の意識が高まることはあっても、それを最初から全社員への「前提条件(ノルマ)」にしてはいけません。

 

「全社員がプロ意識を持つ」という幻想を、勇気を持って捨てましょう。

 

組織には、一部のハイパフォーマー(プロフェッショナル)がいます。 彼らは放っておいても走りますし、高い報酬と称賛を得るべきです。 一方で、生活のために、あるいは趣味や家庭を優先するために、堅実にタスクをこなす多くのワーカー(一般社員)もいます。 彼らもまた、組織にとって欠かせない重要な歯車です。

 

その両者が共存し、誰が欠けても、誰が高い意識を持っていなくても、機能不全に陥らず成果が出続ける。 凡人が凡人のままで、非凡な成果を生み出せるシステム。 そのような強固な「仕組み」を作ることこそが、経営陣が持つべき真の「プロ意識」なのではないでしょうか。

 

「社員の意識が低い」と嘆く暇があったら、意識が低くてもミスが起きないマニュアルを作りましょう。 「主体性がない」と愚痴る前に、主体性がなくてもタスクが自動的に降ってくるワークフローを組みましょう。

 

それができた時、初めて組織は「人の意識」という不確定要素から解放され、真に強い集団へと進化するはずです。 無理な精神論で疲弊するのではなく、現実的な仕組みで勝つ。 これからの時代に必要なのは、そんな「冷徹な優しさ」を持った組織論だと、私は思います。

 

現場からは以上です。 しごできアン・タブチでした。

【仕事術】「なぜ買ってくれないのか」は営業失格?半年間売上ゼロの男が「沈黙」で掴んだ逆転の真理


北海道札幌市、ここ数日暖かかったのですが、今日は少し冷え込んでますね。 どうも、ブロガーの「しごできアン・タブチ」です。

札幌の冬は長いですが、寒さに負けず、熱い議論を交わしていきましょう。 今日は、先日ある若手営業マンの方から相談された、営業における「永遠のテーマ」についてお話ししたいと思います。

その相談とは、ズバリこれです。

「上司から『お客様になぜ買わないのか、その理由を聞き出せ!』と詰められます。 でも、それを聞くとお客様が引いてしまう気がして……僕はどうすればいいでしょうか?」

これ、営業職にある方なら一度はぶつかる壁ではないでしょうか。 「買わない理由」を潰していけば、理論上は「買う」しかなくなる。 これは古典的な営業の教えとして、今でも多くの現場で信じられています。

しかし、はっきり言わせてください。 私のスタンス、そして今回ご紹介するある「伝説の元営業マン」のエピソードを踏まえると、答えは一つです。

「なぜ買ってくれないのか」と聞いた時点で、あなたは営業失格です。

今日は、なぜその問いが「悪手」なのか。 そして、その問いを飲み込んだ先にどんな「奇跡」が待っているのか。 この問題を深掘りしていきます。

 

その「なぜ」の矢印は、誰に向いていますか?

まず、冷静に考えてみてください。 あなたが服を買いに行ったとします。 試着してみたけれど、なんとなくピンとこない。 「今回はやめておきます」と店員さんに伝えた瞬間、こう言われたらどう思いますか?

「えっ、なぜですか? デザインですか? 価格ですか? どこが気に入らないんですか?」

……怖いですよね。 面倒くさいですよね。 「なんとなく」という感覚的な拒否反応に対して、論理的な説明を求められるストレス。 これはもう、ショッピングではなく「尋問」です。

営業マンが口にする「なぜ買ってくれないのですか?」という言葉。 これ、一見すると顧客のニーズを探っているように聞こえますが、実は違います。 その矢印は、顧客ではなく「自分」に向いているんです。

「今のままだとノルマが達成できない(から理由を教えろ)」 「上司に報告する材料が欲しい(から理由を教えろ)」 「自分のプレゼンのどこが悪かったのか知りたい(から理由を教えろ)」

顧客は敏感です。 目の前の営業マンが「自分のために」質問しているのか、「私のために」質問しているのか、瞬時に見抜きます。 自分の都合で「なぜ」と詰め寄る営業マンから、誰が商品を買いたいと思うでしょうか?

 

半年間売上ゼロ。「地獄」を見た男の物語

ここで、一つの強烈なエピソードをご紹介しましょう。

新卒で入社した不動産会社。 そこはまさに「戦場」でした。 来る日も来る日も、新築マンションのモデルルームや飛び込み営業で汗を流す日々。 しかし、彼を待っていたのは「売れない地獄」でした。

当時の上司からは、毎日毎晩、強烈なプレッシャーをかけられていたそうです。 「なんで? どうしてお客様は買わないの?」 「なんでここでクロージングかけないの?」 「なんで理由を聞き出さないの!」

上司からの「なぜ」の連打。 追い詰められた彼は、そのプレッシャーをそのままお客様に転嫁してしまっていました。 インターホン越しに、あるいは対面したお客様に、必死の形相で「なぜですか!」「どうしてですか!」と迫る。 余裕のなさは、言葉の端々、表情、雰囲気にすべて滲み出ます。

結果は惨憺たるものでした。 半年間、契約ゼロ。 同期が次々と初契約を上げていく中、彼は完全に取り残されました。 来る日も来る日も断られ、門前払いを食らい、人格まで否定されるような日々。 「自分は営業に向いていないんじゃないか……」 そう思い詰めるのも無理はありません。

 

「開き直り」が生んだ奇跡の逆転劇

しかし、転機は突然訪れます。 あまりに売れず、あまりに怒られすぎた彼は、ある日プツンと何かが切れました。 良い意味での「開き直り」です。

「もういいや。どうせ売れないなら、怒られないようにしよう」 「もう、余計なことは喋らないでおこう」

彼は、それまでの「必死の売り込みスタイル」を捨てました。 そして、驚くべき行動に出ます。 「物件の良さを一切アピールしない」と決めたのです。

お客様が来ても、自分からは何も話さない。 ただニコニコして立っているだけ。 そして、お客様から「ここのキッチンはどうなってるの?」と聞かれた時だけ、ゆっくりと、丁寧に、簡潔に答える。 それ以外の無駄口は一切叩かない。

「なぜ買わないのか」なんて、もってのほか。 ただひたすら、聞かれたことだけに誠実に答える「受け身」の姿勢を貫いたのです。

すると、どうなったと思いますか?

不思議なことが起こり始めました。 今まで逃げるように帰っていたお客様たちが、帰らないのです。 それどころか、お客様の方から次々と質問が飛んでくるようになりました。 「ここはこうなってるのね」「あそこはどうなの?」 会話のキャッチボールが生まれ、場の空気が和んでいく。

そして、ついにその瞬間が訪れました。 あるお客様が、一通り質問を終えた後、こう言ったのです。

「で、契約するにはどうしたらいいですか?」

半年間、あれほど追い求めても手に入らなかった契約が、向こうからやってきたのです。 しかも、彼は「売り込み」を一切していないのに。 これが、営業のパラドックスであり、真理でした。

 

「説得」を捨てた時、「納得」が生まれる

なぜ、彼は売れるようになったのでしょうか? 「なぜ買ってくれないのか」と聞くのをやめたからです。

お客様は、モデルルームに来た時点で、ある程度の興味は持っています。 しかし同時に、強い「警戒心」も抱いています。 「売りつけられるんじゃないか」「騙されるんじゃないか」という恐怖です。

そこへ営業マンが「どうですか!」「なぜダメなんですか!」と前のめりに来れば来るほど、お客様は防衛本能を働かせ、心を閉ざします。 これは心理学的に見ても当然の反応です。

しかし、彼が「売り込み」の武器を捨て、口を閉ざしたことで、お客様の警戒心が解けました。 「この人は私に無理やり売ろうとしていない」 その安心感が土台にあって初めて、お客様は自分のペースで物件を吟味し、「自分で買うことを決める」ことができたのです。

人は、他人から説得されて決めるのを嫌います。 自分で納得して決めたい生き物なのです。 「なぜ買わないのか」と問う行為は、相手の自己決定権を侵害し、無理やり説得しようとする行為に他なりません。 だから、嫌われるのです。

 

反対意見への回答:それは「御用聞き」ではないのか?

さて、ここで少し視点を変えてみましょう。 世の中には、「なぜ」を聞かない営業なんて、ただの御用聞きだという意見もあります。 「お客様の真の課題を解決するためには、断られた理由を深掘りしなければならない」 「聞く勇気を持てないのは、プロとして逃げているだけだ」

確かに、一理あります。 お客様自身が誤解をしていて、その誤解を解けば幸せになれる場合もあるでしょう。 しかし、それはあくまで「信頼関係」が構築された後の話です。

前述のエピソードが教えてくれるのは、信頼関係もない段階での「なぜ」は、百害あって一利なしだということです。 彼が後にトップ営業マンとして活躍できているのは、単に口数が少ないからではありません。 「顧客の利益を第一に考える姿勢」が伝わっているからです。

彼は不動産営業時代、どうしても早期完売を目指さなければならない新築販売の在り方に疑問を感じるようになったといいます。 「本当にお客様のためになっているのだろうか?」 その葛藤が、彼をより顧客に寄り添える営業マンという道へ導きました。

今の彼なら、依頼者に対して「なぜ?」と問うこともあるかもしれません。 しかしそれは、自分の売上のためではなく、「依頼者の人生を守るため」に必要な確認として発せられる言葉はずです。 そのニュアンスの違いを、お客様は敏感に感じ取ります。

「売るためのなぜ」は営業失格。 「守るためのなぜ」はプロの仕事。 この違いを理解せずに、形だけ「理由を聞き出せ」と教える上司がいるなら、その指導こそが部下を潰している元凶かもしれません。

 

結論:「口」ではなく「心」を使え

そろそろ結論に向かいましょう。 「なぜ買ってくれないのか」と聞いてしまう営業マンは、焦っています。 自分のことしか見えていません。 だから、その言葉は空虚に響き、相手を不快にさせます。

もしあなたが今、売れなくて悩んでいるなら。 上司に詰められて苦しいなら。 一度、騙されたと思って「口を閉じて」みてください。

前述の彼のように、聞かれたことだけに、誠心誠意答えてみてください。 「売りたい」という邪念を捨て、「目の前の人の役に立ちたい」という純粋な奉仕の心を持ってみてください。

「○○さんだから購入を決めた」 彼が初契約の時にお客様から言われたこの言葉こそ、営業マンが目指すべき頂点です。 商品スペックの優劣や、価格の安さで売るのではなく、「あなた」という人間への信頼で選ばれること。

そのためには、相手を問い詰めている暇なんてありません。 相手の話に耳を傾け、相手の不安に寄り添い、相手が心地よく決断できる環境を整える。 それが「しごでき」な営業マンの仕事です。

「なぜ買ってくれないのか」 その言葉が喉まで出かかったら、グッと飲み込んで、代わりにこう心の中でつぶやいてください。

「私は今、このお客様のために何ができるだろうか?」

矢印を自分から相手へ向け変えること。 それができた瞬間、あなたの営業人生は劇的に変わり始めるはずです。 彼が、あの日のモデルルームで体験したように。

札幌の空の下から、すべての悩める営業マンにエールを送ります。 焦るな、詰め寄るな、ただ寄り添え。 春は必ず来ますよ。

それでは、また次回のブログでお会いしましょう。 しごできアン・タブチでした。

【激論】監視や叱責はもうオワコン!これからの上司は部下の「成長スイッチ」を押すことだけに集中すべき理由


はじめに:札幌のデスクから、日本のマネジメントへ愛を込めて

こんにちは、札幌在住のブロガー、しごできアン・タブチです。 窓の外はまだまだ雪景色ですが、今日取り上げるテーマはそんな寒さを吹き飛ばすほど激アツです。 みなさんは、職場で「上司」という存在に対してどんなイメージを持っていますか? あるいは、ご自身が上司の立場にあるなら、普段どんな振る舞いを心がけているでしょうか。

今回、ある非常に興味深いコラムのテーマをいただきました。 それは、「これからの上司は、部下を監視・叱責するよりも、成長のスイッチを押せるかが重要である」というものです。 結論から申し上げましょう。 私、しごできアン・タブチは、この命題に対して【全面的に賛成】です。 もうね、首がもげるほど頷いています。ヘドバン並みです。

なぜ私がここまで強く肯定するのか。 それは、これまでの「当たり前」とされていたマネジメント手法が、現代のビジネス環境において完全に「オワコン(終わったコンテンツ)」化していると確信しているからです。 今日は、なぜ「監視」や「叱責」がダメで、「成長のスイッチ」を押すことが重要なのか。 私の経験と、提供された情報を元に、徹底的に掘り下げていきたいと思います。

 

第1章:「監視」という名の麻薬を断ち切れ

まず、はっきりさせておきたいことがあります。 多くの管理職が陥りがちな罠、それが「監視」です。 「部下がサボっていないか」「ミスをしていないか」と、目を皿のようにしてチェックする。 これ、一見すると「管理」という仕事をしているように見えますよね。 でも、あえて厳しいことを言わせてください。 それは「管理」ではなく、上司自身の「不安解消」に過ぎません。

かつての上意下達の組織、いわゆる「正解が上にある」時代なら、それでもよかったかもしれません。 上司が全ての答えを知っていて、部下はその手足となって動く。 このモデルなら、手足が勝手な動きをしないように監視する必要がありました。 しかし、今はどうでしょうか? 変化の激しいVUCAの時代、現場の部下の方が最新のツールや技術、市場の動向に詳しいなんてことはザラにあります。 Result 1の考察にもありましたが、部下の方が高度な専門知識を持っているケースも珍しくないのです。

そんな状況で、知識のアップデートが追いついていない上司が、重箱の隅をつつくような監視をしたらどうなるか。 答えは明白です。 部下は「仕事の成果を出すこと」よりも「上司に叱られないこと」を目的に働き始めます。 これ、一番恐ろしいことだと思いませんか? 思考停止した「指示待ち人間」の大量生産工場の完成です。 テレワークが普及した今、物理的な監視は不可能ですし、PCのログを監視するようなマネジメントは、互いの信頼関係を破壊するだけで、生産性向上には何一つ寄与しません。

 

第2章:「叱責」では人は育たない、萎縮するだけだ

次に「叱責」についてです。 「愛の鞭」なんて言葉がありますが、現代においてそれは通用しません。 もちろん、法的な違反や倫理的な問題に対しては厳正に対処する必要があります。 しかし、業務上のミスや成果不足に対して、感情任せに怒鳴ったり、ネチネチと詰めたりすることは、百害あって一利なしです。

なぜなら、恐怖による支配は、一時的な服従を生むだけで、永続的な成長を生まないからです。 叱責された部下の脳内では何が起きているか。 「次はどうすれば成功するか」というクリエイティブな思考ではなく、「どうすればこの場をやり過ごせるか」「どうすれば怒られないか」という防衛本能が働きます。 これでは、新しいアイデアやイノベーションなんて生まれるはずがありません。 「成長のスイッチ」どころか、「心のシャッター」をガシャンと下ろさせているようなものです。

 

第3章:「成長のスイッチ」は対話の中にしかない

では、これからの上司は何をすべきなのか。 そこでキーワードとなるのが、今回のテーマでもある「成長のスイッチ」です。 このスイッチ、実は上司が外から無理やり押すものではないんです。 部下の内側に隠されていて、部下自身が「あ、そうか!」と気づいた時に初めてONになるものなんですね。

じゃあ、上司はどうやってそのスイッチを探すのか。 ここで登場するのが、最強のツール「1on1(ワンオンワン)」に代表される「対話」です。 従来の面談は、上司が評価を伝えたり、説得したりする場でした。 「お前、ここがダメだから直せよ」「はい、すみません」 これじゃあダメなんです。 これからのマネジメントに必要なのは、「傾聴と共感」です。

「最近、仕事でどんなことにモヤモヤしてる?」 「あの時のプロジェクト、自分ではどう振り返ってる?」 「今後、どんなスキルを伸ばしていきたい?」

こうやって問いかけ、部下の言葉をじっくりと聴く。 上司が答えを与えるのではなく、部下自身の口から答えを引き出す。 これを「リフレクション(内省)」と言いますが、部下が自らの経験を振り返り、「次はこうしてみよう」と行動原理を変容させた瞬間こそが、成長のスイッチが入った瞬間なんです。 このスイッチは、外部からの強制(叱責)では決して押すことができず、本人の「納得感」と「自律心」によってのみ作動します。

 

第4章:「時間がない」は、ただの言い訳だ

ここまで言うと、必ずこういう反論が飛んできます。 「アン・タブチさん、言ってることはわかるけど、現場は忙しいんだよ。一人一人とじっくり対話してる時間なんてないよ」と。 わかります。私も現場にいた人間なので、その気持ちは痛いほどわかります。 でも、あえて言わせてください。 「時間がない」は、投資を惜しんでリターンを求めているようなものです。

例えば、部下がミスをしたとします。 その尻拭いをする時間、再発防止策を考えさせる時間、最悪の場合、部下が潰れて退職してしまい、新しい人を採用・教育する時間。 これら「事後対応」にかかる膨大なコストを考えてみてください。 それに比べれば、週に1回、あるいは隔週に1回、30分の1on1を行う時間は、極めてコストパフォーマンスの高い「先行投資」なんです。

短いサイクルでの対話(フィードバック)は、部下との信頼関係(エンゲージメント)を強固にします。 「この上司は自分のことを見てくれている」「自分の成長を願ってくれている」 そう感じた部下は、放っておいても自走し始めます。 結果として、上司の手が離れ、チーム全体の生産性が向上する。 「急がば回れ」こそが、組織全体のパフォーマンスを最大化する最短ルートなのです。

 

第5章:上司の役割は「管理官」から「伴走者」へ

これからの時代、上司に求められるスキルセットは劇的に変わります。 これまでは、業務知識が豊富で、部下をグイグイ引っ張る「カリスマ型」や「管理官型」が良しとされてきました。 しかし、これからは違います。 部下のポテンシャルを信じ、横に並んで走りながら、時折適切な問いかけを投げかける「伴走者(コーチ)」としての役割が求められます。

監視カメラのように目を光らせる必要はありません。 その代わり、部下が転びそうになったら「大丈夫?」と声をかけ、ゴールを見失っていたら「こっちだよ」とライトを照らす。 そして何より、部下が自らの足で走り出した時に、心から拍手を送れるかどうか。 それが、これからの時代に生き残る上司と、淘汰される上司の分水嶺となるでしょう。

 

おわりに:スイッチを押すのは、あなたの「言葉」と「姿勢」

長々と語ってきましたが、最後にこれだけは伝えたい。 部下の「成長のスイッチ」を押すことができるのは、AIでもなければ、人事評価制度というシステムでもありません。 現場で日々接している、あなた自身の「言葉」と「姿勢」だけです。

「監視」という名の怠慢を捨てましょう。 「叱責」という名のストレス発散をやめましょう。 そして、勇気を持って「対話」を始めてみませんか? 最初はぎこちなくてもいいんです。 「君の話を聞きたいんだ」という姿勢さえあれば、必ず部下の心には届きます。

部下が目を輝かせて「部長、ちょっとこれやってみたいんですけど!」と言ってくる。 そんな瞬間が増えれば、仕事はもっと楽しくなるはずです。 札幌の空の下から、全国の上司の皆さんの「変革」を心から応援しています。 それでは、また次回のコラムでお会いしましょう。 しごできアン・タブチでした!

【激論】「役職者席」はただの化石か?窓際の上座にしがみつくリーダーに次世代の舵取りは任せられない理由


こんにちは、札幌で働くブロガー、「しごできアン・タブチ」です。

北海道は冬も山場を越え、少し暖かい日が続いています。ビジネスの現場も、季節の変わり目のようにドラスティックに変化し続けていますね。

さて、今日は少し刺激的ですが、これからの組織論において避けては通れない「オフィスの座席問題」について、皆さんと一緒に深掘りしていきたいと思います。

いきなりですが、皆さんの会社のオフィスを見渡してみてください。

部長や本部長、あるいは役員といった「偉い人」たちの席はどこにありますか?

もし、フロアの奥、窓を背にして、部下たちの背中を一望できる「ひな壇」のような場所に鎮座しているとしたら……。

あるいは、パーティションで区切られた広いスペースや、個室を与えられているとしたら……。

はっきり申し上げます。

その会社は、「化石」になりかかっているかもしれません。

「いまだに役職者の席を別に用意している会社は化石並みである」

この命題に対し、私は首がもげるほど頷き、全面的に肯定します。

今回は、なぜ役職者の特別席が「過去の遺物」であり、即刻廃止すべきなのか。金融庁の開示好事例集などが示唆する「コーポレートガバナンス」「透明性」の観点も交えながら、私の考えを書き綴っていきます。

 

かつての「ひな壇」が機能しなくなった理由

かつての日本企業、特に高度経済成長期からバブル期にかけては、部屋の奥に構える「上座」は権威の象徴でした。

部下全員の働きぶりを後ろから監視し、管理する。

一糸乱れぬ統率力で、決まった正解に向かって大量生産・大量販売を行う時代には、この「監視塔」のような座席配置は合理的だったのかもしれません。

しかし、時代は変わりました。

現代はVUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)の時代です。正解のない問いに対し、現場レベルで試行錯誤を繰り返し、高速で修正(ピボット)していくことが求められています。

そんな時代において、物理的に部下と距離を取り、ふんぞり返っているリーダーの存在は、もはや「経営スピードを殺す致命的なバリア」でしかありません。

なぜ「役職者席」を廃止すべきなのか。その理由は大きく分けて3つあります。

 

理由1:情報の「鮮度」と「速度」が命取りになる

第一の理由は、情報の非対称性とタイムラグの問題です。

金融庁が公表した『記述情報の開示の好事例集』をご覧になったことはあるでしょうか。

ここには、気候変動リスクから人的資本経営に至るまで、企業が直面するありとあらゆるリスクと機会について、透明性高く開示することが求められています。

これは単なる資料作成の話ではありません。「経営陣が現場のリスクや変化をどれだけリアルタイムに把握しているか」が問われているのです。

現場で起きている微細な変化、顧客の小さな違和感、あるいは社員のモチベーションの低下。

これらは、会議室での報告会や、稟議書という整えられたフォーマットに乗る前の「生の情報」です。

物理的に隔離された「役職者席」にいる上司が、こうした空気感を即座に感知できるでしょうか?

答えはNOです。

「何かあったら報告に来い」と奥の席で待っている間に、市場は変化し、リスクの芽は大きく育ってしまいます。

あるいは、部下が報告に来る頃には、情報は加工され、上司の機嫌を損ねないような「きれいな報告」になっていることでしょう。

リーダーこそ、情報の交差点である現場の雑踏の中に身を置くべきなのです。

隣の席で部下が電話対応に苦慮している声を聞き、雑談の中でポロリとこぼれる不満を拾う。

そうした「一次情報」に触れ続けることこそが、現代のガバナンスであり、迅速な意思決定の源泉となります。

 

理由2:「心理的安全性」を破壊する物理的障壁

第二の理由は、組織のパフォーマンスを最大化するために不可欠な「心理的安全性」の問題です。

「役職者席」という聖域は、無言のうちに「軽々しく話しかけるな」「ここは特別な場所だ」というメッセージを部下に発信し続けています。

よく、「上司が近くにいると部下が緊張して休まらない」という反論(擁護論)を耳にします。

「上司は少し離れたところから見守るくらいが、部下にとってもガス抜きができて良いのだ」と。

しかし、私はあえて言いたい。

それこそが、信頼関係の欠如を「物理的距離」で誤魔化している証拠ではないでしょうか。

もし、上司が隣に座ることで部下が萎縮し、監視されていると感じるのであれば、それは座席の問題ではなく、マネジメントスタイルの問題です。

グローバル企業が人権や腐敗防止のガイドラインを遵守し、組織の透明性を極限まで高めようとしている中で、社内のコミュニケーションに物理的な「階層」を作ることは、時代の要請に逆行しています。

イノベーションは、会議室の予定調和な議論からではなく、ふとした雑談や、役職を超えたフラットな対話から生まれます。

「部長、ちょっといいですか?」と声をかけるのに、わざわざ席を立って、フロアの奥まで歩き、秘書や周囲の視線を気にしながら話しかけなければならない。

この「物理的なコスト」と「心理的なハードル」が、どれだけのアイデアや報告を握りつぶしてきたことか。

役職者席を廃止し、フリーアドレスや一般席に混ざることは、「私はあなたたちと同じ目線で働いている」というリーダーからの最強のメッセージになるのです。

 

理由3:それはリーダー自身の「甘え」である

そして第三の理由。これは少し厳しい言い方になりますが、専用席を欲しがる心理の根底にあるのは、リーダー自身の「甘え」です。

役職者席の必要性を説く人々は、決まってこう言います。

「人事やM&Aなど、機密情報を扱うから専用席が必要だ」 「深く思考し、戦略を練るための集中できる環境(コックピット)が必要だ」

もっともらしい理由ですが、私には「変化を拒むための言い訳」にしか聞こえません。

まず機密情報について。

本当に他言無用の機密情報を扱うのであれば、オープンスペースの奥にある専用席であっても不十分です。

機密の話があるなら、その都度会議室に行けばいいだけの話です。

むしろ、自席でコソコソと電話をしたり、人払いをしたりする方が、周囲に不信感を与えます。

現代のオフィスツールやセキュリティ技術を駆使すれば、座席の場所に関わらず情報は守れます。

次に「集中」について。

「現場の雑音を遮断して思考したい」という主張ですが、集中力は個人のスキルの問題であり、座席の特権で解決すべきものではありません。

また、本当に一人で籠もって考えたいのであれば、テレワークを活用したり、社内の集中ブースを使えば良いのです。

わざわざ「役職者専用の固定席」として、一等地を占有する必要はありません。

専用席がないと威厳が保てない。

部下と物理的に離れていないと統率できない。

もしそう信じているリーダーがいるならば、そのリーダーシップのOSこそが「化石」なのです。

役職とは「偉さ」を示す身分証明書ではなく、組織を機能させるための「役割」に過ぎません。

役割が違うだけであり、人間としての偉さが違うわけではない。

この当たり前の事実に気づかず、「席の場所」で自身の重要性を確認しているようなリーダーは、遠からず市場という厳しい生態系の中で淘汰されていくでしょう。

 

「機能」としての区別か、「権威」としての区別か

もちろん、私は「全てのオフィスを完全なフリーアドレスにすれば、全てがバラ色になる」と主張しているわけではありません。

業務の内容によっては、固定席の方が効率が良い職種もあるでしょうし、集中するためのスペースは誰にでも必要です。

しかし、問題なのは「役職者だから」という理由だけで、無条件に特等席が与えられる文化です。

反論として、「F1レーサーと整備士が同じ席に座らないように、経営を担う者には専用のコックピットが必要だ」という意見もあります。

一見、理にかなっているように聞こえます。

しかし、企業のリーダーはF1レーサーのように、たった一人でマシンを操縦しているわけではありません。

むしろ、チーム全体が有機的に動くための「ハブ」であり、時には整備士と一緒に油にまみれ、時にはナビゲーターとして地図を広げる存在です。

孤独にコックピットに籠もっているリーダーよりも、ピットの中を走り回り、メンバーと声を掛け合っているリーダーの方が、現代のレース(ビジネス)では勝てるのです。

物理的な障壁を取り払うことは、意識変革の第一歩です。

「席」という既得権益を手放すことができるか。

裸一貫のリーダーシップで、部下と向き合う覚悟があるか。

それが今、全ての役職者に問われているのです。

 

まとめ:化石になる前に、席を立て

金融庁が求める「記述情報の開示」や「コーポレートガバナンス」の本質は、形式的なルールの遵守ではありません。

企業が環境変化に適応し、持続的に成長するための「自己変革能力」を持っているかどうかを見ています。

オフィスの風景は、その企業の文化を最も色濃く映し出す鏡です。

いまだに「窓際の上座」にしがみつき、物理的な壁の向こう側から指示を出しているような会社に、次世代の舵取りは任せられません。

もしあなたが経営者や役職者であるなら、明日、自分の席を見直してみてください。

その席は、チームのパフォーマンスを最大化するためのものですか?

それとも、あなたのプライドを守るためのものですか?

もし後者なら、今すぐその席を立ち、部下の隣に椅子を持っていくことをお勧めします。

そこから見える景色こそが、あなたの会社を未来へと導くリアルな羅針盤になるはずですから。

以上、しごできアン・タブチでした。

また次回のコラムでお会いしましょう。

【激論】転職回数が多い人は採用NG?「即戦力の野良犬」を飼い慣らせない会社に未来はない!数字で足切りする人事が会社を滅ぼす理由


どうも、北海道札幌市で活動しているブロガー、しごできアン・タブチです。

最近、ビジネス界隈では相変わらず熱い議論が交わされていますね。今回のテーマは、人事・採用担当者なら一度は頭を抱えたことがあるであろう、あの難題です。

「転職回数が多い人は、採用すべきではないか?」

これです。履歴書の職歴欄が埋まりきらないほどの経歴を持つ応募者を見たとき、あなたならどうしますか?「ジョブホッパーはお断り」と書類選考で落とすか、それとも「経験豊富な即戦力」として面接に呼ぶか。

世の中には「転職回数が多い人材はリスクしかない」という慎重論も根強くあります。彼らを「組織を内側から壊す毒」だとか、「都合が悪くなれば逃げ出す傭兵」だと断じる声も聞こえてきます。その気持ち、わからなくもありません。採用コストや教育コストを考えれば、長く定着してくれる人材が愛おしいのは当然ですから。

ですが、あえて言わせてください。

「転職回数が多い」という理由だけで採用を見送るのは、現代のビジネス環境において、もはや『愚策』以外の何物でもありません。

今回は、提供された否定派の意見にもしっかりと向き合いながら、なぜ今、あえて「多動な人材」を採用すべきなのか。その理由を、これからの時代を生き抜くための組織論として語っていきたいと思います。コーヒーでも飲みながら、少し長話にお付き合いください。

1. 「定着」という神話の崩壊と、「傭兵」の価値

まず、反対派の意見としてよく耳にするのが、「彼らは傭兵であり、城(会社)を守る気概がない」という指摘です。組織への忠誠心が低く、状況が悪くなればすぐに逃げ出す、と。

確かに、転職を繰り返す人々は「傭兵」的な側面を持っています。自分のスキルを武器に、より高く評価してくれる場所、より輝ける戦場を求めて渡り歩く。しかし、アン・タブチに言わせれば、「傭兵で何が悪いんですか?」という話です。

終身雇用が事実上崩壊し、企業の平均寿命が個人の労働寿命を下回る今の時代において、「一生この会社で添い遂げます」という純粋な忠誠心だけを持つ人材は、逆にリスクでもあります。変化を恐れ、会社の看板にしがみつく「番犬」だけでは、外から攻め入ってくる新しい敵(競合他社や破壊的イノベーション)には勝てないからです。

城を守るために必要なのは、忠実な番犬だけではありません。荒野での戦い方を知り、最新の武器(スキル)を使いこなし、敵の動きを肌感覚で知っている「狼」が必要なのです。

彼らが「傭兵」であるならば、企業側は彼らが「ここで戦いたい」と思える魅力的な戦場と報酬を用意すればいいだけの話。それができない自社のマネジメント力不足を棚に上げて、「彼らには忠誠心がない」と嘆くのは、少々甘えが過ぎるのではないでしょうか。

2. 「毒」になるか「薬」になるかは、組織の胃腸次第

「劇薬は組織を殺す毒になる」という意見もありました。異文化を持ち込み、既存の和を乱す存在だと。

確かに、同質性の高い組織に異物が入れば、拒絶反応が起きます。現場は混乱するでしょうし、「前の会社ではこうだった」という発言にイラつく古参社員もいるでしょう。しかし、その「混乱」こそが、硬直化した組織に必要な「刺激」なのです。

一つの会社しか知らない純粋培養の人材だけで固められた組織は、その会社の常識が世界の常識だと錯覚しがちです。そこに、「あの業界ではこのツールが標準でしたよ」「そのやり方は3年前のトレンドですね」と、外の風を容赦なく吹き込むジョブホッパーは、確かに耳の痛い存在かもしれません。

ですが、それを「毒」と捉えて排除するか、組織をアップデートするための「良薬」として飲み込むか。そこで企業の器が試されます。異物を受け入れ、消化し、自らの血肉に変える強さ(ダイバーシティ&インクルージョン)がない組織は、これからの変化の激しい時代、遅かれ早かれ衰退していく運命にあります。

「毒になるかもしれないから採用しない」というのは、いわば「お腹を壊すのが怖いから、離乳食しか食べない」と言っているようなものです。強い組織を作りたいなら、多少の毒さえも栄養に変える、強靭な胃腸を鍛えるべきです。

3. コスト論の嘘:3年で辞める「プロ」vs 30年居座る「アマチュア」

次に、コストパフォーマンスの観点について。「採用コストや教育コストをかけても、すぐに辞められたら回収できない」という主張です。

これは一見もっともらしいですが、実は大きな落とし穴があります。それは、「在籍期間の長さ」と「貢献度(ROI)」を混同している点です。

例えば、入社して3年で辞める人材がいたとしましょう。しかし、その彼が、入社1年目から即戦力としてバリバリ働き、新規事業を立ち上げ、既存社員にはないノウハウを残して去っていったとしたらどうでしょうか? その3年間で生み出した利益が、採用コストの10倍、20倍になっていれば、それは企業にとって大成功の投資です。

一方で、30年間一度も辞めずに定着しているけれど、新しいスキルも学ばず、言われたことしかやらず、変化を拒んで組織の足を引っ張り続ける社員がいたとしたら? 彼らに払い続ける30年分の給与と、彼らが占有し続けるポストの機会損失は、計り知れない「負債」となります。

「長くいてくれること」自体に価値があったのは、人口が増え続け、右肩上がりの経済成長が約束されていた昭和の時代の話です。成果主義が浸透しつつある現代において、見るべきは「何年いたか」ではなく「何を残したか」です。

転職回数が多い人材は、新しい環境で自分の価値を証明しなければならないプレッシャーに慣れています。彼らは「入社後の半年で結果を出さないと居場所がない」ことを知っているため、立ち上がりのスピードが圧倒的に早い。ダラダラと10年かけて一人前になるのを待つ余裕は、今の企業にはないはずです。

4. 見極めるべきは「数字」ではなく「物語(ナラティブ)」

もちろん、私も「転職回数が多い人を全員無条件で採用しろ」と言っているわけではありません。中には、単に嫌なことから逃げ続けてきただけの、本当に採用してはいけない人材も混ざっています。

では、どうやって「戦略的なジョブホッパー(金の卵)」と「逃げの転職者(地雷)」を見分けるのか?

ここで重要になるのが、履歴書の「数字」ではなく、その背景にある「キャリアの物語(ナラティブ)」の一貫性です。

面接でこう聞いてみてください。「なぜ、そのタイミングで転職を選んだのですか?」「その選択によって、あなたのキャリアはどう積み上がったのですか?」と。

優秀なジョブホッパーは、この問いに対して明確で論理的なストーリーを持っています。 「エンジニアとして技術の幅を広げるために、あえて異なるテックスタックの企業へ移った」 「マーケターとして、BtoCだけでなくBtoBの知見も得るために業界を変えた」 彼らの転職には、自分なりの「軸」があり、それは「逃げ」ではなく、市場価値を高めるための「攻め」のアクションであることが伝わってくるはずです。

一方で、逃げの転職者は、退職理由が他責(会社のせい、上司のせい)であったり、キャリアに脈絡がなかったりします。見るべきは回数ではありません。その回数が刻まれた「理由」と、そこから得た「学び」の質です。

この見極めを放棄して、「3回以上だから不採用」と数字で足切りをするのは、面接官としての怠慢であり、思考停止と言わざるを得ません。

5. 「劇薬」を使いこなすマネジメントこそが、上司の仕事だ

最後に、現場のマネジメント層に伝えたいことがあります。

優秀だけど扱いづらい、転職回数の多い「一匹狼」のような部下を持つことは、確かに大変です。彼らは納得できない指示には従わないし、非効率な慣習には噛み付いてくるでしょう。

ですが、「自分より優秀で、自分とは違うタイプの人間」を使いこなしてこそ、一流のマネージャーではないでしょうか?

イエスマンばかりを集めて、仲良しクラブを作るのは簡単です。しかし、それではイノベーションは生まれません。自分たちの常識を疑い、時には耳の痛い指摘をしてくれる「異質な他者」をチームに招き入れ、彼らのエネルギーを組織の成果というベクトルに向ける。それこそが、管理職の腕の見せ所です。

彼らが「辞める」と言い出すのが怖いですか? ならば、彼らが「まだここにいたい」「ここではまだ学べることがある」と思えるような、刺激的で成長できる環境を提供し続ければいいのです。それは結果として、他の社員にとっても働きがいのある、魅力的な組織を作ることにつながります。

結論:安住を求める羊より、荒野を駆ける狼を愛せ

結論として、私のスタンスは明確です。

「転職回数が多い人材は、採用すべきである」

彼らは、変化の激しい現代ビジネスにおける「炭鉱のカナリア」であり、組織の新陳代謝を促す「起爆剤」です。彼らを採用できない、あるいは定着させられない企業は、人材の流動性が高まるこれからの時代において、優秀な層から選ばれない「魅力のない組織」になっていくでしょう。

履歴書の行数の多さは、彼らが多くの環境に適応し、サバイブしてきた勲章です。その経験値を買わずして、何を買うのでしょうか。

「すぐに辞めるかもしれない」というリスクに怯えて、凡庸な採用を続けるか。 それとも、「たとえ短期間でも、組織に革命を起こしてくれるかもしれない」という可能性に賭けて、狼を招き入れるか。

経営者や人事担当者の皆さん。今こそ、その「覚悟」が試されています。数字というフィルターを外し、その目の前にいる個人の「物語」に耳を傾けてみてください。そこには、あなたの会社を次のステージへと押し上げる、思いがけないヒントが隠されているかもしれませんよ。

現場からは以上です。しごできアン・タブチでした。

【激論】昭和の遺物「住宅手当・家族手当」は即廃止すべき!「属人給」を捨てて、僕らが真の「実力主義」へ進むべき理由


みなさん、こんにちは! 北海道札幌市で活動しているブロガー、しごできアン・タブチです。

最近、札幌のコワーキングスペースで仕事をしていると、隣の席からこんな会話が聞こえてきたんです。 「今の会社、住宅手当が出ないから辞めたいんだよね~」 「えー、まじ? それはキツイね」

これを聞いて、僕は思わずカフェラテを吹き出しそうになりました。 いやいや、ちょっと待ってください。 令和のこの時代に、まだそんな「昭和の価値観」にしがみついているんですか?

今日は、多くの日本企業に根深く残る「住宅手当」や「家族手当」といった属人手当について、僕なりの考えをバシッと言わせていただきます。 結論から言うと、これらの手当は「もはや不要」です。 むしろ、日本の会社をダメにしている「昭和の遺物」だとさえ思っています。

ちょっと過激に聞こえるかもしれませんね。 でも、これからの時代を生き抜く「仕事ができる(しごでき)」ビジネスパーソンなら、この違和感に気づいているはずです。 今回は、なぜこれらの手当を廃止し、基本給へ統合すべきなのか。 その理由を徹底的に解説していきます。

 

その手当、誰の「成果」に対して支払われていますか?

まず、冷静に考えてみましょう。 昭和のホームドラマに出てくるようなサザエさん的な世界観。 お父さんは一家の大黒柱で、会社は彼とその家族の生活を丸ごと面倒見る。 給与明細にある「家族手当」や「住宅手当」は、会社からの「君の家族も僕たちが守るよ」というメッセージでした。

それはそれで、古き良き時代の美しい絆だったのかもしれません。 終身雇用が当たり前で、一度入社すれば定年まで安泰だった時代なら、それも機能していたでしょう。

でも、今は令和です。 ビジネス環境は激変しました。 そんな中で、はっきり言わせていただきます。

「住宅手当」や「家族手当」といった属人手当は、組織の公平性を阻害する最大のノイズです。

なぜなら、これらは「仕事の成果」とは何の関係もないからです。 会社はボランティア団体でも、福祉事務所でもありません。 利益を追求し、価値を生み出すプロフェッショナルな集団のはずです。

 

「同じ仕事」をしているのに、給料が違う理不尽

具体的なシチュエーションを想像してみてください。 あなたの隣の席に座っている同僚AさんとBさん。

二人は同期入社で、全く同じ部署、全く同じ仕事をしています。 そして、出している成果もほぼ同じだとしましょう。 しかし、給与明細を見ると、Bさんの方が月に5万円も多くもらっている。

理由はシンプル。 Aさんは独身で実家暮らし。 Bさんは結婚していて、賃貸マンションに住んでいるから。

これ、Aさんの立場になって考えてみてください。 「はあ? なんで?」って思いませんか?

仕事の成果は同じなのに、プライベートな事情だけで年収に60万円もの差がつく。 これに対して、現代の若手社員が「納得感」を持てるわけがありません。 「同一労働同一賃金」という言葉が叫ばれて久しいですが、属人手当こそがこの原則を真っ向から否定しているんです。

昔なら「君も結婚すればもらえるよ」「先輩になればもらえるよ」という、年功序列的な慰めが通用したかもしれません。 でも今は、ソニーや日立製作所といった日本を代表する企業が、いち早く「職務給(ジョブ型)」へと舵を切っています。 つまり、給料は「どんな生活をしているか(属性)」ではなく、「どんな価値を生み出したか(成果)」で決まるべき時代なんです。

隣の席の同僚が結婚しようが、家を買おうが、離婚しようが、それは個人のプライベートな選択です。 会社の生産性とは、本来1ミリも関係がない話なんですよ。

 

「既得権益」を捨てて、「実力」で勝負しよう

こう言うと、必ず反論が飛んできます。 「手当がなくなったら生活できない!」 「実質的な賃下げじゃないか!」

落ち着いてください。 僕は「手当をなくして、会社の総人件費を減らせ」と言っているわけではありません。 そんなことをしたら、ただのブラック企業ですからね。

僕が主張したいのは、「生活補助」という名目を捨てて、その原資をすべて「基本給」や「賞与」に統合すべきだということです。

ここがめちゃくちゃ重要なポイントです。 手当という名の「既得権益」をなくし、その分を基本給に上乗せする。 そうすれば、どうなると思いますか?

まず、残業代の単価が上がります。 多くの会社では、基本給をベースに残業代や賞与が計算されます。 手当でちまちま支給されるより、基本給がドンと上がった方が、頑張った時のリターンは大きくなるんです。

そして何より、フェアな競争が生まれます。 「家族がいるから」「家賃が高いから」という理由で守られていた給与がなくなれば、全員が「成果」で勝負せざるを得なくなります。 逆に言えば、独身だろうが持ち家だろうが、圧倒的な成果を出している人が正当に報われる仕組みになるんです。

優秀な人材ほど、不公平な制度には敏感です。 「なんで働かないおじさんが、家族がいるってだけで自分より給料高いんだ?」 そう感じた瞬間に、優秀な若手は会社を去っていきます。 企業にとっても、属人手当を残し続けることは、優秀な人材を流出させるリスクでしかないんですよ。

 

採用の武器としての手当も、今のままじゃダサい

経営者や人事の方からは、「住宅手当は採用の武器になるんだよ」という声も聞こえてきそうです。 確かに、初任給の安さを誤魔化すための「見せ金」として、手当が機能してきた側面は否定しません。

でも、それならもっと戦略的にやるべきです。 ただ漫然と「世帯主なら支給」なんて昭和なことをやっている場合じゃありません。

例えば、サイバーエージェントのようなIT企業がやっている「会社の近くに住んだら家賃補助」という制度。 これなら合理的です。 職住近接を推奨することで、通勤の疲労を減らし、仕事のパフォーマンスを最大化してもらう。 これなら「生産性向上のための投資」として説明がつきます。

しかし、どこに住もうが、どんな家に住もうが、一律で支給される手当には何の意味もありません。 それはただの「バラマキ」です。 採用の武器にしたいなら、もっと今の若者の価値観に刺さる、合理的でクールな制度設計が必要なんです。

 

結論:社員を「子供扱い」するのはもうやめよう

結局のところ、「家族手当」や「住宅手当」の本質って何だと思いますか? それは、会社が社員の家計簿にまで口を出してくる「パターナリズム(温情主義)」です。

「君たちは自分でお金の管理もできないだろうから、会社が生活費の面倒を見てあげるよ」 そんな上から目線のメッセージが透けて見えるんです。

でも、僕たちは会社に養ってもらう「子供」じゃありません。 プロフェッショナルなビジネスパーソンです。 自分のライフスタイルは自分で決めるし、そのコストは自分で賄う。 その代わり、会社には提供した労働の価値に対して、正々堂々と高い「基本給」で報いてほしい。 これが、令和の働く人々の本音ではないでしょうか。

企業側も、もう覚悟を決めるべきです。 「家族がいるから」という情緒的な理由で給与を決めるのはやめましょう。 それは優しさではなく、評価からの逃げです。

昭和の価値観を引きずった「手当」という名の既得権益を一掃すること。 そして、社員一人ひとりの実力を直視し、フェアに報いること。 それこそが、日本の組織が「筋肉質」な実力主義へと生まれ変わり、世界と戦える強さを取り戻すための第一歩だと、僕は確信しています。

みなさんは、どう思いますか? 「いやいや、手当は命綱だよ」という意見もあるかもしれません。 でも、その命綱、実はあなたの成長を縛り付ける鎖になっているかもしれませんよ。

それでは、また次回のブログでお会いしましょう。 しごできアン・タブチでした!

【激論】「俺が辞めたら終わり」は最大の勘違い。社員が辞めても会社がノーダメージな残酷な真実


どうも、北海道札幌市で「仕事ができる男(自称)」を目指して日々奮闘中のブロガー、しごできアン・タブチです。 最近の札幌はすっかり冷え込んできて、大通公園のベンチで缶コーヒーを飲むのも厳しくなってきました。 寒くなると、温かい居酒屋が恋しくなりますよね。

さて、そんな居酒屋や喫煙所で、サラリーマンの同僚たちが熱っぽく語っているのをよく耳にしませんか? 「このプロジェクト、俺が抜けたら絶対に回らないよな」 「俺が辞めたら、あの部署は終わりだわ」 いわゆる「俺が辞めたら終わり」理論です。

今日は、この件について、少し冷酷かもしれませんが、ビジネスの現場における「真実」をお話ししようと思います。 結論から申し上げます。 あなたが辞めても、会社はノーダメージです。 それどころか、あなたが去ることで会社が好転することさえあります。

「そんなバカな!俺は毎日終電まで働いて、誰よりも業務を知り尽くしているんだぞ!」 そう反論したくなる気持ち、痛いほどわかります。 ですが、優秀なビジネスパーソンを目指す皆さんには、この「残酷な現実」を直視していただきたいのです。

1. 「属人化」という名の時限爆弾

「俺がいないと回らない」という状況。 これ、会社側から見るとどう映っていると思いますか? 「頼もしい社員がいる」ではありません。 「いつ爆発するかわからないリスク(時限爆弾)を抱えている」と見なされます。

特定の社員に業務が集中し、その人しかやり方がわからない状態を「属人化」と呼びます。 「俺が辞めたら終わり」と豪語する人の多くは、無意識のうちに、あるいは自己保身のために、仕事をブラックボックス化しています。 マニュアルを作らない、情報を共有しない、自分独自のやり方で処理する。

これは会社にとって極めて不健全な状態です。 経営者や管理職は、常に「再現性」を求めています。 誰がやっても80点の結果が出る仕組みこそが、組織の強さだからです。 つまり、「俺しかできない」状態を作っている時点で、その社員は組織にとって「ボトルネック」になりつつあるのです。

2. 辞めた瞬間、強制的な「デトックス」が始まる

では、そのボトルネックとなっている社員が、満を持して「辞めてやる!」と退職届を叩きつけたとしましょう。 現場は混乱するでしょうか? ええ、間違いなく混乱します。 最初の1週間、あるいは1ヶ月は、残されたメンバーが「あのファイルどこだ?」「この処理どうやるんだ?」と右往左往するでしょう。

しかし、ここからが組織のすごいところです。 その混乱は、業務を正常化するための「デトックス期間」なのです。

ブラックボックスが開かれ、隠されていた業務フローが白日の下に晒されます。 「なんだ、この非効率なやり方は?」 「この工程、実は不要だったんじゃないか?」 残されたメンバーが必死に穴埋めをする過程で、業務の棚卸しが強制的に行われます。 その結果、無駄が削ぎ落とされ、マニュアルが整備され、誰でも回せる仕組みが出来上がる。

数ヶ月後、ふと気づくと、「あれ? あの人がいた頃より、今のほうがスムーズに回ってない?」という現象が起きます。 皮肉なことに、会社にダメージを与えようとして辞めた行為が、会社の業務効率化を促進する起爆剤になってしまうのです。

3. 組織の「自己修復能力」を侮るな

会社という組織は、生き物に似ています。 トカゲの尻尾が切れても再生するように、組織には強力な「自己修復能力」が備わっています。 誰かが欠ければ、その穴を埋めようと周りが動きます。 新しい人が採用されるかもしれないし、AIやツールが導入されるかもしれないし、アウトソーシングされるかもしれない。

スティーブ・ジョブズがAppleを去った時でさえ、会社は存続しました(彼の場合は復帰後に伝説を作りましたが、彼が亡くなった後の現在のAppleの時価総額を見てください)。 稀代の天才でさえ代替可能なのが組織というシステムです。 ましてや、私たちのような一介のサラリーマン一人が抜けたところで、会社という巨大な歯車が止まることはあり得ません。

翌日も当たり前のようにオフィスには電気がつき、メールサーバーは稼働し、定時になればチャイムが鳴ります。 その「残酷なまでの日常」こそが、組織の強さなのです。

4. 残された社員たちの「本音」

「俺が辞めたら、残されたみんなが困るだろうな…」 そう心配する優しい方もいるかもしれません。 ですが、少し厳しいことを言います。 残された社員たちは、意外とホッとしているかもしれません。

「俺がいないと回らない」と自負する社員は、往々にして声が大きく、自分のやり方を周囲に押し付けがちです。 また、その人が仕事を抱え込みすぎるせいで、若手が育つ機会を奪っているケースも多々あります。 ベテランのエースが抜けたことで、それまで影に隠れていた若手が「やっと自分の出番が来た」とばかりに急成長することは、組織論ではよくある話です。

職場の風通しが良くなり、新しいアイデアが採用されやすくなる。 「あの人が辞めてくれたおかげで、やっとチームとして機能し始めた」 そんな声が、退職祝いの飲み会の裏側で囁かれている可能性を、否定できますか?

5. 「終わり」なのは会社ではなく、過去の自分

「俺が辞めたら終わり」という言葉。 これは、裏を返せば「会社という舞台装置がない自分」への恐怖の裏返しではないでしょうか。 「自分は必要とされている」「自分はこの組織の核である」と思い込むことで、自己重要感を満たしているのです。

しかし、現実はシビアです。 会社にダメージを与えてやろうと意気揚々と退職しても、数ヶ月後、元同僚たちが自分のことなどすっかり忘れて、楽しそうにランチをしているSNSを見た時。 本当のダメージを受けるのは誰でしょうか? それは、会社ではなく、「自分がいなくても世界は回る」という事実を突きつけられた、辞めた本人なのです。

結論:真に優秀な「しごでき」人材とは?

ここまで、「会社はノーダメージである」という肯定派のスタンスでお話ししてきました。 もし、これを読んでいるあなたが「俺が辞めたら終わりだぞ」と思っているなら、今すぐその幻想を捨てた方がいいでしょう。 会社はあなたがいなくても、驚くほど平然と回り続けます。

しかし、絶望する必要はありません。 むしろ、この事実を知った上で、どう振る舞うかが重要です。

真に優秀なビジネスパーソンとは、「自分がいなくても回る仕組み」を作ってから去る人のことです。 「私が辞めても、マニュアルとこのシステムがあれば大丈夫です。後は任せました」 そう言って笑顔で去っていく人こそが、会社から本当に惜しまれ、そして次のステージでも活躍できる人なのです。

「俺がいないとダメなんだ」という自己満足に浸るのではなく、「俺がいなくても大丈夫な状態を作った」という実績を作る。 それが、プロフェッショナルというものです。

会社への復讐心や過度な自負心で辞めるのではなく、自分の人生を次に進めるために、綺麗に仕組みを残して去る。 そう腹を括った時、初めて「会社のダメージ」などどうでもいい些末なことだと気づくはずです。 そして、そんなあなたなら、どこの会社に行っても(あるいは独立しても)、必ず重宝されるはずです。

札幌の空の下から、皆さんの「しごでき」なキャリアを応援しています。 それでは、また次回のコラムでお会いしましょう。 したっけね!(北海道弁で「またね」の意味)