アン・タブチのブログ

色々と現状を変えたいと思っているひとです

あるバスでの出来事

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今朝、いつも通りバスで出勤していました。その時の出来事です。

自分がバスに乗ってしばらくすると車内が混雑してきました。毎朝のことですが。アッという間に席が埋まっていきます。ですが、自分の二つ前の2人座席のうち通路側と、その隣の1人座席のみが空いていました。2人座席の窓側には中年の男性が座っておりました。
あるバス停につくと、幼稚園児とそのお母さんが乗ってきました。二人分の座席が空いているのですが、離れているため1人座席にお母さんが座り、その膝の上に子どもを載せていました。

 

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発車してすぐに、その幼稚園児がぐずりだしました。「膝の上は嫌だ。」「座って窓の外の景色が見たい」という主張だったと思います。まあ、かなりわがままな注文ですが、幼稚園児ですから仕方ないとも言えます。そんな子どものわがままをお母さんはなだめていましたが、とうとう子どもが大きな声で泣き出しました。

 

車内に響く子どもの泣き声。のらりくらりとなだめていたお母さんもさすがに慌てだしました。しかし、子どもの望むようにすることはできない状況でした。結局、そのお母さんはなだめるために席を立ち、子どもを抱っこして終着まで立っていました。

 

今朝のバスはこんな状況だったのですが、何かうまくいく方法はなかったのか?と降りた後考えていました。皆さんはどう考えますか?

 

自分は、「2人座席の窓側に座っている中年の男性が、席を譲ればよいじゃないか。」と思っていました。その男性が席を譲って、お母さんと子どもを2人座席に座らせて、自分は立つか1人座席に座ればよかったのではないかと。しかし、男性は全く知らん顔で、そんなそぶりを見せませんでした。そんな空気を読めないところに若干の苛立ちを覚えていたのは事実です。

 

 

diamond.jp

 

 

しかし、男性にも何か事情があったのかもしれません。考え事をして周りの状況が目に入らなくなっていたからとか、体調が悪くて立ち上がるのもしんどかったとか。何かしらの事情の有無はその男性にしかわかないので何とも言えません。

 

また、その幼稚園児のわがままを許してしまうというのが、本当に良いことなのか?という議論もあるでしょう。たしかにその主張をかなえてあげれば、子どもは泣き止むし、社内は静かになるので、場は収まったかもしれません。しかし、バスはあくまで公共の場。自分の思い通りにはならないということを子どもには教えなければいけません。

 

お母さんと子どもが座るところもなく立っていたのであれば、席を譲るというのが正しい選択でしょう。しかし、今回の場合は二人とも座る場所があったわけで、あえて席を譲らなくていいという気もします。

 

そして最後に思ったのは、自分はその男性が席を譲らないことにもやもやしていたわけですが、よくよく考えてみると自分が譲るということもできたわけです。二つ後ろに座っていたわけですから、自分の隣に座っている人に声をかけて、二人で席を譲ってあげればよかったともいえます。男性に対してとやかく思う資格はないわけで、まず自分が行動すればよかったわけです。


そんなわけで、あるバスの出来事でしたが、いろいろな選択肢があったのだなと、バスを降りてから思った次第です。

 

 

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