残業手当はなくしたほうがいい…ただしサービス残業がないことが前提
いつの間にか社会人になって地雷語を話すようになっていた
社会に出てから十数年たつわけですが、いつの間にか身も心もサラリーマンに染まってしまったなあと感じる。
若いころは「社会に屈しないぞ!」という勢いもあったのですが、最近は心の刃はボロボロになり、髪の毛も抜ける始末。
若いころは違和感のあった社会人としての常識が、今や当たり前になってしまったと感じる今日この頃。
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バスを降りるときに運転手に「ありがとうございました。」と言うべきか
今日はタイトル通り、バスを降りるときに運転手に「ありがとうございました。」と言うべきかについて書こうと思います。皆さんは言いますか?
自分は言います。というか、自然と出てしまいます。何でだろう?躾けられたのかな?記憶にないけど。
でも、「ありがとうございました。」と言う必要はないと思っていました。だって、「バスに乗るときはお金を払っているわけで、タダで何かしてもらったわけではないから」というロジック。
ただ、運転手のほうから「ありがとうございました。」って言われたら、「ありがとうございました。」っていうのは必要かと思っていました。そこで何も言わないのも感じ悪いので。
同じことは、タクシーに乗るときもそうですし、コンビニなどでお買い物をするとき、飲食店でご飯を食べたときにも通じますよね。
自分は、
- タクシーに乗るとき→「どうも~」とか言って降りるかな。
- コンビニなどでお買い物をするとき→何も言わないかも。気分がいいときは「どうも~」っていうかな(笑)
- 飲食店でご飯を食べたとき→これはほぼ「ごちそうさまでした」って言ってる。ひどいサービスの時は言わない。
という感じです。
すべてに通じるのは、「サービスを提供する側と顧客の関係性」という点。
自分はうえで書いたように、客はお金を払ってサービスという対価を受け取っているわけで、「ありがとうございました」とかいう必要はないと思っていました。
でも、書いていて思ったのは、飲食店でご飯を食べたときは「ごちそうさまでした~」ってほぼ100パーセント言っているわけで、それとバスやタクシー、コンビニの「ありがとう」は何が違うのかな?
…違わないよね。てことは言ったほうがいいのか。
ちなみに、日本では「お客様は神様です」という言葉通り、お客様を大事にすることが当たり前ですが、海外ではそうでもないっていう話を聞いたことがありました。
インドではサービスを受ける側・提供する側は対等という話をどこかのテレビ番組で見たことがありました。
日本の「お客様は神様です」という考え方は、一流のサービスを生み出す一方、「客はお金を払っているんだから、もてなされて当たり前」→「何をしてもよい」という悪い慣習につながっているという話もあります。
日本と海外の文化の違いは、どちらかがよくてどちらかが悪いというものではないと思います。でも、海外ではサービスを受ける側・提供する側は対等という場所がある以上、それなりの対応をできるようになっておいたほうが、これからの国際時代に恥ずかしい思いをしないかもしれません。
というか、「ありがとう」とか「ごちそうさま」といわれて嫌な人はいないわけですから、それくらいタダなんだし言っておくほうが得ですな。
「ありがとう」とか「ごちそうさま」とか言うようにしつけてくれた親に感謝しつつも、自分の子どももそういうように育てていきたいと思った次第です。
あと、コンビニでも何か言わないと。って何て言えばいいのかなあ???
「ノー残業デー」という意味の分からない制度
今所属している会社には、「ノー残業デー」なる制度があります。これが本当に邪魔臭いし、迷惑な制度だと思うので、今日は文句を書こうと思います。
まず最初の前提として、「ノー残業」って普通じゃないんですかね?そもそも、ノー残業が普通で、仕方なく残業しているんだと思うんですよ。でも、この「ノー残業デー」って、残業があるのが普通で、「この日だけは残業をしないで帰りましょう」っていう制度ですよね。まず、この時点でナンセンスだなって思うわけです。これは「定時退社日」っていう呼び方していても同じです。いやいや定時が普通でしょっていう話。
まあ、会社って残業しなければ回らないこともあるし、「普通残業あるよね?」っていう状態なのはわかります。そんななか、「せめて週一回くらい早く帰りましょうよ。」っていう試みでしょうから、百歩譲ってOKとしましょう。でも、さらによくわからないのが、みんな同じ曜日に「ノー残業」ってなんなんでしょう?
工場みたいにライン作業しているならばみな同時にノー残業でもいいかと思うのですが、普通の会社勤めしているとほとんどがそうではないですよね。チームで作業していていても最終的には個人作業だと思うんですよ。それで、みな同じ曜日に定時で帰れっておかしくないですか?
子どもじゃないんだから、早く帰る日と遅くまで頑張る日ぐらい自分で決めるっつうの。仕事が乗っているのに帰らなければならなかったり、ほかに早く帰りたい日に「非ノー残業デー」ということで帰れなかったりするのは本当にめんどくさい。
こんなことを書くと、超絶ブラックな会社勤めの人から怒られますかね。「うちは形式化している」とか「ノー残業デーって何それおいしいの?」状態の人もいるでしょう。そんな人から見たら、週一回でも早く帰られる日があるのはうらやましいと思うんですよ。元ブラック(?)勤めだったんでよくわかります。
でも、人間って贅沢なもので、ノー残業デーがあるとついつい文句言いたくなっちゃうんですよね。
ブラック勤めの人ごめんなさい。でも「ノー残業デー」に文句をつけてみました。確かに「定時退社日」があるのは恵まれた環境だなって思うのですが、曜日を決める必要もないし、好きな時に帰りますよ。さらには、無理して残業なんてしませんよっていうのが本音だったりします。
今日は「ノー残業」だったので、この記事を書いてみました。ちゃんちゃん。
なぜあの人は定時に帰るのにNo.1なのか? ?残業ゼロの仕事術
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あるバスでの出来事
今朝、いつも通りバスで出勤していました。その時の出来事です。
自分がバスに乗ってしばらくすると車内が混雑してきました。毎朝のことですが。アッという間に席が埋まっていきます。ですが、自分の二つ前の2人座席のうち通路側と、その隣の1人座席のみが空いていました。2人座席の窓側には中年の男性が座っておりました。
あるバス停につくと、幼稚園児とそのお母さんが乗ってきました。二人分の座席が空いているのですが、離れているため1人座席にお母さんが座り、その膝の上に子どもを載せていました。
発車してすぐに、その幼稚園児がぐずりだしました。「膝の上は嫌だ。」「座って窓の外の景色が見たい」という主張だったと思います。まあ、かなりわがままな注文ですが、幼稚園児ですから仕方ないとも言えます。そんな子どものわがままをお母さんはなだめていましたが、とうとう子どもが大きな声で泣き出しました。
車内に響く子どもの泣き声。のらりくらりとなだめていたお母さんもさすがに慌てだしました。しかし、子どもの望むようにすることはできない状況でした。結局、そのお母さんはなだめるために席を立ち、子どもを抱っこして終着まで立っていました。
今朝のバスはこんな状況だったのですが、何かうまくいく方法はなかったのか?と降りた後考えていました。皆さんはどう考えますか?
自分は、「2人座席の窓側に座っている中年の男性が、席を譲ればよいじゃないか。」と思っていました。その男性が席を譲って、お母さんと子どもを2人座席に座らせて、自分は立つか1人座席に座ればよかったのではないかと。しかし、男性は全く知らん顔で、そんなそぶりを見せませんでした。そんな空気を読めないところに若干の苛立ちを覚えていたのは事実です。
しかし、男性にも何か事情があったのかもしれません。考え事をして周りの状況が目に入らなくなっていたからとか、体調が悪くて立ち上がるのもしんどかったとか。何かしらの事情の有無はその男性にしかわかないので何とも言えません。
また、その幼稚園児のわがままを許してしまうというのが、本当に良いことなのか?という議論もあるでしょう。たしかにその主張をかなえてあげれば、子どもは泣き止むし、社内は静かになるので、場は収まったかもしれません。しかし、バスはあくまで公共の場。自分の思い通りにはならないということを子どもには教えなければいけません。
お母さんと子どもが座るところもなく立っていたのであれば、席を譲るというのが正しい選択でしょう。しかし、今回の場合は二人とも座る場所があったわけで、あえて席を譲らなくていいという気もします。
そして最後に思ったのは、自分はその男性が席を譲らないことにもやもやしていたわけですが、よくよく考えてみると自分が譲るということもできたわけです。二つ後ろに座っていたわけですから、自分の隣に座っている人に声をかけて、二人で席を譲ってあげればよかったともいえます。男性に対してとやかく思う資格はないわけで、まず自分が行動すればよかったわけです。
そんなわけで、あるバスの出来事でしたが、いろいろな選択肢があったのだなと、バスを降りてから思った次第です。