とある起業家の本音
先日、知り合いの“起業家”と飲む機会があった。その起業家は、5年前に起業した。起業した年齢は25歳。会社は色々あったようだが、経営は順調だ。
ベンチャーコンペなどでも受賞し、将来を期待されるベンチャー企業といえる。 彼の会社のホームページを見た。ベンチャーならではの自由な雰囲気・将来への希望にあふれていた。
「社員は家族です。」
という文言が書かれていて、社内のイベントも活発に行われているようだった。「働いてみたいな」と思わせる会社だった。とても魅力的な会社なのだ。
そんな会社の社長である彼は、さぞかし自分の会社にも満足しているのだろうと思っていた。だが、実際に会ってみるとそうではなかった。
社員の愚痴ばかり
彼の口から出るのは、自分の会社の社員の愚痴ばかりだった。 一番印象的だったのが、こんな愚痴だった。
「社員の全員が“自分”だったら、もっと早く大きな会社になるのに。」
社員に能力がなく、やる気もない。仕事を任せられる右腕もいない。だから、全社員が優秀な自分だったら、会社はもっとよくなるという話らしい。自分の会社のことは自慢する一方、自社の社員についてはひどい言い様だった。
話す前は魅力的な会社だと思っていたけれど、そんな愚痴を永遠と聞かされると、「社員がかわいそうだな。」と思えてきた。社員には直接そんなことは言っていないようだが、事あることに叱責しているらしい。「もっとやる気を出せ。」「もっと会社のために頑張れ」と。
社員に自分と同じパフォーマンスを求めている
まず問題だなと思ったのは、社員に自分と同じパフォーマンスを求めているということだ。確かに、彼は優秀なのだろう。ゼロから事業を生み出し、会社を成長させてきた。
最初は自分一人だけ。そして、数人の社員を雇い、現在では十数人にまで増やしてきたのだ。普通の人にはなかなかできないことだ。 そんな彼と同じ成果を出せるサラリーマンなんて、そこら辺には、なかなかいないんじゃないか。いたとしても、将来性はあるが、リスクもある設立5年目のベンチャー企業には入社してくれないかもしれない。
その辺のことを無視して、自分が採用したからには優秀に違いないと思っているのだ。 求める水準が高いのだから、社員の働きぶりに不満を持つのは当然だろう。ついついイライラして叱責してしまうのは当然だ。いつも怒られてばかりだと、社員も萎縮してしまうに違いない。
そうなると、無難な仕事ぶりになるのは当然だ。 求める水準に達する社員がいないから、なかなか仕事を任せられない。だから、管理職になる人材が育たないし、自分の右腕も育たない。
その結果、彼はいつも急がしい。会社の中で一番働いている。さらに彼の求める水準は高くなり、その水準に到達する社員は現れない。
「社員のビジョン=会社のビジョン」
次に問題なのは、「社員のビジョン=会社のビジョン」だと思っていることだ。社員は、自分と同じように会社のことを第一に考えていると思っているのだ。
彼は、「なぜ社員が自分と同じように夜中まで働かないのか」ということを話していた。会社は成長期で、働けば働くだけ売上と利益が上がるらしい。それなのに社員は夜中まで働かず、それなりの時間に帰ってしまうのだそうだ。彼にとって、それが不満らしい。
「会社を成長させ、自分も成長する。」と採用試験の面接のときに言っていたじゃないかと。「それなのに、なぜ会社のために全力で頑張らないのだ。」と怒っていた。面接のとき、言っていたじゃないかと。
面接の言葉を全面的に信じている彼の素直さはすばらしいと思うのだけど、ちょっと馬鹿正直すぎる。そんなの採用して欲しいから言っている場合もあるだろう。本音では、「会社が成長すればラッキーだな。」とか「ここなら偉くなれるかも。」程度ということもあるだろう。
そこまで考えずに、社員を信じている。 …だが、結果的には社員が信じられなくなっている。
第二成長には、ほどほどくらいがちょうどいい
一人で事業を立ち上げるのは、知力・体力・勇気・運、すべてにおいて優秀じゃないとできないことだ。優秀な彼だからこそできたことなのだろう。けれど、会社を大きくするという局面では、優秀すぎるのはマイナスになることもある。
彼のように優秀な起業家が、自分と同じ働きを社員に求めても、誰もついていけない。 そう考えると、起業するのは優秀な人じゃないといけないけど、会社を成長させるには、ほどほどの能力とほどほどのやる気をもったサラリーマン社長くらいがちょうどいいのかもしれない。