アン・タブチのブログ

色々と現状を変えたいと思っているひとです

あったらいいのに「簡易クリーニングサービス」

 

「家事は2万円で外注しろ」が話題になっています。 


「家事は2万で外注しろ」議論白熱 | web R25

 

自分の意見としては、人それぞれなので使いたい人は使えばいいと思います。そんな議論をふまえて、あったらいいのになと思うサービスがあります。それは、「簡易クリーニング」です。もうあるのかな?

ホント家事って大変

ホント、家事は大変ですよね。うちの場合、8~9割以上は嫁さんがやっているのですが、私も出来る限り手伝うようにしています。食後の茶碗洗い・風呂掃除・トイレ掃除なんかは出来る限りやるようにしています。一方、食事作りはほとんど嫁さん任せです。

 

子育てをしながら家事をするってホント大変で、嫁さんはすごいなと思います。
うちの嫁さんは専業主婦ですが、子どもがいたらそれでも大変そうです。これが、共働きだったらもっと大変でしょう。うちは地方なので通勤にそれほど時間がかかりませんが、都会だともっともっと大変でしょう。私は19時から20時くらいには帰宅できているのですが、旦那さんの帰宅する時間が遅い家庭はもっともっともっとたいへんでしょう。

ホント洗濯って大変

そんな家事の中でも大きな割合を占めているのが、“洗濯”ではないでしょうか。全自動洗濯機があるとはいえ、洗濯はまだまだ手間のかかる家事のひとつです。ぐちゃぐちゃの洗濯物を仕分けして、ポケットを確認し、洗濯機に入れます。終わったら干して、たたむという作業工程があります。

 

天気の悪い日は洗濯物が乾かないので、時間がかかります。子どもが多い家庭では、毎日洗濯しなければ追いつかなくなります。そのような洗濯という家事を代行してもらえるとなれば、それなりの需要があるのではないでしょうか。

 

議論になっている外注でお願いするという方法は、知らない人を家に入れなければなりません。これが心理的に嫌という意見もたくさん見受けられました。確かに家に入ってもらって洗濯物をしてもらうのは、私もちょっと・・・です。気軽には頼めません。

「簡易クリーニング」とは

ですから、クリーニングの簡易版でいいので、持ち込んでごく一般家庭がやる程度の洗濯をしてくれるサービスがあればいいのになと思っていました。

 

既存のクリーニングサービスは、過剰なんですよね。きれいに漂白されて・アイロンがけされて・パッケージングされます。これは選択の頻度が少なく、特別で、高級な衣服にはいいサービスなのですが、日常着る服にはそこまでやる必要はありません。

 

それらは、洗濯機にぶち込んで、乾燥機をかけて、適当にたたんでくれれば事が済みます。一枚一枚ビニールでパッケージングする必要もありません。紙袋にえいっと入れてくれればいいのです。それを格安の料金でやってくれたらいいのになと思います。

 

ある程度の服の数があるならば、それらのクリーニングはすぐにできなくても大丈夫です。目安としては一週間に一回くらい持ち込んで、そのときに前回の服をまとめて持って帰るくらいでいいのではないでしょうか。クリーニング側としては一週間の猶予があるわけです。

採算取れないのかな

そのサービスをやるにあたり、どのくらいのコストがかかり、どのくらいの料金設定になるのでしょうか。やはり、簡易とはいえ結構費用がかかるのでしょうかね。

 

今までこのサービスがないのは、需要がないのか採算が取れないのか。どちらかはわかりませんが、どこかやって欲しいな思うわけです。

家事は手抜きできるならしたほうがいい

家事の大変さは、やっている人しかわからないものです。家事はどうしてもやらなければいけないものではないし、需要と供給・便益と採算がバランスが取れてサービスが生まれるなら、それを使ったほうがいいとおもいます。いつもではなくとも、たまに使うだけでも楽になるかと思います。

 

 

 

 

とある起業家の本音

先日、知り合いの“起業家”と飲む機会があった。その起業家は、5年前に起業した。起業した年齢は25歳。会社は色々あったようだが、経営は順調だ。

 

ベンチャーコンペなどでも受賞し、将来を期待されるベンチャー企業といえる。 彼の会社のホームページを見た。ベンチャーならではの自由な雰囲気・将来への希望にあふれていた。

 

「社員は家族です。」

 

という文言が書かれていて、社内のイベントも活発に行われているようだった。「働いてみたいな」と思わせる会社だった。とても魅力的な会社なのだ。

 

そんな会社の社長である彼は、さぞかし自分の会社にも満足しているのだろうと思っていた。だが、実際に会ってみるとそうではなかった。

 

社員の愚痴ばかり

 

彼の口から出るのは、自分の会社の社員の愚痴ばかりだった。 一番印象的だったのが、こんな愚痴だった。

 

「社員の全員が“自分”だったら、もっと早く大きな会社になるのに。」

 

社員に能力がなく、やる気もない。仕事を任せられる右腕もいない。だから、全社員が優秀な自分だったら、会社はもっとよくなるという話らしい。自分の会社のことは自慢する一方、自社の社員についてはひどい言い様だった。

 

話す前は魅力的な会社だと思っていたけれど、そんな愚痴を永遠と聞かされると、「社員がかわいそうだな。」と思えてきた。社員には直接そんなことは言っていないようだが、事あることに叱責しているらしい。「もっとやる気を出せ。」「もっと会社のために頑張れ」と。 

 

社員に自分と同じパフォーマンスを求めている

 

まず問題だなと思ったのは、社員に自分と同じパフォーマンスを求めているということだ。確かに、彼は優秀なのだろう。ゼロから事業を生み出し、会社を成長させてきた。

 

最初は自分一人だけ。そして、数人の社員を雇い、現在では十数人にまで増やしてきたのだ。普通の人にはなかなかできないことだ。 そんな彼と同じ成果を出せるサラリーマンなんて、そこら辺には、なかなかいないんじゃないか。いたとしても、将来性はあるが、リスクもある設立5年目のベンチャー企業には入社してくれないかもしれない。

 

その辺のことを無視して、自分が採用したからには優秀に違いないと思っているのだ。 求める水準が高いのだから、社員の働きぶりに不満を持つのは当然だろう。ついついイライラして叱責してしまうのは当然だ。いつも怒られてばかりだと、社員も萎縮してしまうに違いない。

 

そうなると、無難な仕事ぶりになるのは当然だ。 求める水準に達する社員がいないから、なかなか仕事を任せられない。だから、管理職になる人材が育たないし、自分の右腕も育たない。

 

その結果、彼はいつも急がしい。会社の中で一番働いている。さらに彼の求める水準は高くなり、その水準に到達する社員は現れない。

 

「社員のビジョン=会社のビジョン」

 

次に問題なのは、「社員のビジョン=会社のビジョン」だと思っていることだ。社員は、自分と同じように会社のことを第一に考えていると思っているのだ。

 

彼は、「なぜ社員が自分と同じように夜中まで働かないのか」ということを話していた。会社は成長期で、働けば働くだけ売上と利益が上がるらしい。それなのに社員は夜中まで働かず、それなりの時間に帰ってしまうのだそうだ。彼にとって、それが不満らしい。

 

「会社を成長させ、自分も成長する。」と採用試験の面接のときに言っていたじゃないかと。「それなのに、なぜ会社のために全力で頑張らないのだ。」と怒っていた。面接のとき、言っていたじゃないかと。

 

面接の言葉を全面的に信じている彼の素直さはすばらしいと思うのだけど、ちょっと馬鹿正直すぎる。そんなの採用して欲しいから言っている場合もあるだろう。本音では、「会社が成長すればラッキーだな。」とか「ここなら偉くなれるかも。」程度ということもあるだろう。

 

そこまで考えずに、社員を信じている。 …だが、結果的には社員が信じられなくなっている。

 

第二成長には、ほどほどくらいがちょうどいい

 

一人で事業を立ち上げるのは、知力・体力・勇気・運、すべてにおいて優秀じゃないとできないことだ。優秀な彼だからこそできたことなのだろう。けれど、会社を大きくするという局面では、優秀すぎるのはマイナスになることもある。

 

彼のように優秀な起業家が、自分と同じ働きを社員に求めても、誰もついていけない。 そう考えると、起業するのは優秀な人じゃないといけないけど、会社を成長させるには、ほどほどの能力とほどほどのやる気をもったサラリーマン社長くらいがちょうどいいのかもしれない。

 

 

起業家 (幻冬舎文庫)

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地方在住、30代後半。我が家のリアルな家計について

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2015年になったので今年は何を目標にしようか考えています。今年は「お金」についていろいろと考えてみようと思っています。

 

40代に近づくにつれて、お金のことを考える時間が増えました。若い時は「生きていければいいや」くらいに思っていたのですが、最近はそうでもなくなってきました。

 

とりあえず、現状を分析してみようと思います。

 

最近転職したばかりです。年齢は30代後半。賞与はありません。月給は30万円ちょい。なので、手取りは25万円くらいです。年収370万程度。嫁さんは専業主婦。子どもが2人いるので、家計はかなり厳しいです。見捨てないでくれている嫁さんには感謝しております。

 

家計はそれなりに厳しいようですが、休日にそこらへんの公園に遊びに行ったり、動物園や水族館へ行くくらいはなんとかできています。旅行は年に近場の安い温泉宿泊で1・2回。海外とか遠くの旅行はしていません。いつかディズニーに行きたいので、別途貯金中。

 

車は普通乗用車保有。中古で100万円の車です。駐車場代は1万円。車はぜいたく品ですが地方ですので必要です。駐車場は1万円。ガソリン・車検・修理費と本当に車は金食い虫です。それでもないと厳しいのですよねえ。周りには2台所有している人も結構います。

 

やりくりして、子どもの学資保険+老後のための貯蓄として3万から5万円くらいは貯金しているみたいです。やりくりしてくれている嫁さんには頭が上がりません。

 

本来だと子どもが小さい今にもっと貯めなければならないのですが、なかなかできません。まあ、我慢して今を犠牲にして貯金するっていうのも寂しい話なので、あまり深く考えないようにしています。

 

小遣いは1万円。昼食は嫁さんが弁当を作ってくれているのでかかりません。携帯電話代は家計から出してもらっています。また、冠婚葬祭に関しては家計から出してもらっています。

 

なので、基本的にその1万円は自由に使えます。ただし、飲み会とかがあると別にもらう人がいるようですが、うちはそういうのは一切なしです。飲み会が続くと厳しいですが、今の職場は飲み会が少ないので助かっています。

 

酒・たばこ・ギャンブルは一切やらないのですが、趣味の道具にお金がかかるので、毎月3千円程度貯金しています。その貯金が貯まったらほしい物を買うという感じです。

 

あと、嫁さんに結婚十周年のときにプレゼントをしたいので、毎月2千円をそれように貯めています。10年だから24万円になりますね。旅行でも行きたいなと。それと、嫁さん、子供2人の誕生日には2千円程度のプレゼントをしています。

 

さらに、大学の後援会などで年間1万5千円くらい払っています。そうなるとあまり自分のものは買えません。毎月で自由に使えるお金は5千円くらいでしょうかね。

 

平均年収とか見ると、30代後半だと400万~500万位は貰っていないとまずいみたいですねえ(笑)。まあ、それでも何とか借金もしないで幸せに生きています。本当はもう少しほしいですけど。

 

地方だと、意外にこのくらいの年収レベルのサラリーマンって多いかもしれませんね。都会の人には信じられないかもしれませんが…。地方だとなんとか生活できるものですよ。 ちなみに、仕事は土日休めて、残業は1日1時間程度です。通勤時間は30分。

 

 

 

「この上司はいまいちだなあ」と思ってしまう3つの行動

私は、いまだに管理職になったことがありません。 反面、いままで色々な上司の部下になってきました。 無駄に“部下歴”が長いのです。 そんな中で、「いまいちだなあ」と思う上司は、みな同じような行動をとっていることに気づきました。 今回はそんな上司の行動パターンを3つあげたいと思います。

 

1.下のものに挨拶をしない

 

挨拶と言うのは基本です。それは年をとっても偉くなっても同じではないでしょうか。 “たいしたことない上司”は、部下に対してまともに挨拶をしないというパターンが多かったです。

 

こちらから挨拶をして返してくれないという上司はほとんど居ないのですが(まれに居ます)、部下からの挨拶にほとんどまともな挨拶をしてくれない上司がいるのです。

 

聞こえるか聞こえないかの声でぼそっと挨拶をしたり、目も合わせずに適当に挨拶する上司は、たいしたことのない上司でした。 そして、そんな上司に限って「上のものにはずいぶんとご丁寧な挨拶をするのです。」笑。

 

にこっと笑ってでかい声で、歩み寄って挨拶するのは、滑稽以外のなにものでもありません。 下は適当・上には媚面うという態度は、下のものからしてみると残念以外のなにものでもありません。

 

2.コピーをとりにいかせる

 

これもダメ上司によくあるパターン。 コピーをとるほど忙しいならわかるのですが、それほど忙しくないということがほとんど。

 

コピーをとることができないくらい忙しいことってそんなにありますか? 本当にできる上司なら、それを計算して仕事をこなしています。 できない上司は段取りが悪くて、無駄に忙しい状態になっていることがよくあります。

 

「仕事で忙しい自分」 「部下を使いこなす自分」 に酔っていることがほとんどで、そんな自分がカッコいいと思っている。 それが本当にかっこ悪いです。

 

3.ありがとうを言わない

 

上司にお茶を入れたのに何も言われない。 FAXを持っていったのに何も言われない。 ダメ上司だとそんなことがよくあります。

 

たいしたことではないのですが、これができていない上司が意外に多いです。 必ず毎回白とは言いませんが、たまに「ありがとう」といってくれるだけで、やるほうはずいぶん時が楽になるものです。

 

できる上司はその辺の心理をよく理解しており、 「ありがとう」という言葉にひとつ二つつけて返してくれるものです。 ダメな上司は、「偉い俺様はしてもらうのが当然」と思っているのか、まったく感謝の態度を示さないということがよくあります。

 

どうでしょうか? 3つとも共通しているのですが、部下に対する気配りができない上司はたいしたことがないということがほとんどです。気配りがまったくできないかというとそんなことはなくて、さらに上のものには異常なまでの気配りをしたりするのですよね。

 

以上、いまいちだなと思う上司の特徴を3つ挙げてみました。 管理職になったことがない小物が、管理職のつらさもわからないまま書いてみました。 「なったこともないくせに偉そうなこと書くな!」といわれそうですが、ご容赦あれ。

 

 

 

2月3日はいつから海苔巻きを食べる日になったのですか?

2月3日、会社で同僚に言われました。

 

「タブチさん、今日は家でエホウマキ食べるの?」

 

あれ?今日は節分ですよね。

節分といえば豆まきだったはず。

 

まあ、こんな私でも「恵方巻き」というものは知っています。

なんでも、節分に縁起のいい方角を向いて、無言で海苔巻きにかぶりつくとよいとか。

 

いつの間にそんな習慣がメジャーになったのでしょうか。

 

自分が子供のときの節分といえば、「豆まき」。

鬼の格好をした父親に力いっぱい豆をぶつけ、散らばった豆を拾い集めて、年の数だけ食べるといったものでした。

 

そこには、海苔巻きをたべるという習慣はなかったはず。

 

最近ですよね。エホウマキ・エホウマキと宣伝されるようになったの。

一部の地方の文化を採用したようなのですが、私のようなおじさんには馴染みがない習慣なのですよ。それをいまさら海苔巻きを食えっていわれても…

 

会社の帰りにスーパーに行ってみると、惣菜コーナーに長蛇の列が。

何かと思ってみてみると、エホウマキを予約して購入している人たちの行列でした。

おいおい。いったいどうしちゃったのさ。

 

帰り道を歩いていると、どこかのおじさんがしゃべっておりました。

 

「エホウマキなんて、商業主義の習慣に踊らされたやつが買うものだ」

「エホウマキじゃなくて、アホウマキだな!」

 

なるほど、うまいこといいますね。

 

恵方巻きだけではなく、「ハロウィン」なんかも昔はなかったはず。

どうも馴染みのないイベントにはついていけません。

 

 

さて、家に帰ってみると、しっかりと豆と海苔巻きがセットになって用意されていました。私も立派な「アホウマキ」なのでした。

 

 

 

ビニールPOPバルーン恵方巻(吊り下げ式)

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例外は前例となり、規定事項になる

前回、会社における前例について書きました。

  

会社における『前例』のパワー - アン・タブチのブログ

 

 

前例というのはパワーがあるのです。だからこそ、前例を作るときは慎重につくらなければいけません。最初から柔軟に、変化に対応できるようにしなければいけないのかも。

 

いつのまにかできる前例

 

前例が意図的につくられるのであれば、そのときに注意すればいいのですが、問題になるのは、いつのまにかできる前例です。

 

誰も深く考えずに最初のルールが決まったばかりに、それが前例となり続いていくパターンです。 誰も深く考えていないので、その場しのぎだったり、誰かに懇意的な内容であったりして、問題がある場合が多くなります。いつのまにかできる前例こそ危ないです。

 

よくあるのが、『例外』から『前例』になるパターン。ある偉い人がわがままを言って、担当者が仕方なく、 「これは例外ですよ」 とあるルールを決めてしまいます。本来であれば、会社の利益を考えてルールを決めなければならないのに、偉い人の一声で例外を認めてしまうことがあります。

 

その偉い人は自分のわがままを聞いてもらえるので、もちろん文句は言いません。担当者は、偉い人に頭をなでてもらえるし、あくまで『例外』ですから、責任を問われることもありません。ちょっとの罪悪感も、「これは例外例外」と自分に言い聞かせ、納得します。

 

そして時は過ぎ、その偉い人は定年退職、担当者は部署に移ってしまいます。しかし、その『例外』は存在し続けます。そのときにまだ『例外』扱いならまだいいのですが、『前例』となっていることがよくあります。

 

いつの間にか特別な例外が、当たり前の前例になってしまうのです。 だってこれは前例だから そうなると、その前例を覆すことは難しくなります。公認の担当者が責任感をもってその是正を訴えても、そのメリットを享受している人たちは、抵抗勢力となり反抗し続けます。

 

「だってこれは前例だから。」

 

そう言われれば、新しい担当者はなかなか強くはでられません。そうしてさらに時は過ぎ、その前例を覆そうとする人はいなくなります。例外は前例となり、既定事項となります。

 

例外をつくる場合は慎重に

 

だから、例外を作るときは慎重にならなければいけません。その規定事項の不公平さ、おろかさにか誰かが気づいたときに、退職していればいいのですが、会社のどこかにいると大変です。

 

「この例外を認めたのは誰だ!」→「○○さんです。」

 

とならないように、例外を期限付きにするか、その証拠を残さないようにしなければいけませんね。

 

 

社員がよろこぶ会社のルール・規定集101

社員がよろこぶ会社のルール・規定集101

 

 

会社における『前例』のパワー

会社のルールは前例で決まっている

 

会社で働いている人ならわかると思うけど、会社において『前例』のパワーってすごいと思いませんか? 小さな物品の購入から大きな投資まで、この『前例』によって左右される意思決定は多いです。

 

「何で備品はこのメーカーのこの商品なの?」→「ずっとこれだから。」

「何でパソコンはこのメーカーに決まっているの?」→「ずっとこのメーカーだから。」

「何でこの商品はここから必ず仕入れるの?」→「ずっとここと取引しているか。」

 

物だけではなく、行動も『前例』で決まることが多いです。

「何でこの決済は複数の管理職の承認が必要なの?」→「ずっと前からやっているから。」

「何でこの曜日・この時間に出勤しなければいけないの?」→「ずっと前からそうだから。」

 

いいか悪いかは別として、会社のルールって『前例』で決まっていること、多くありませんか?

 

絶大な前例のパワー 意思決定において、『前例』というのは絶大なパワーを持っています。特に新しいものを拒む抵抗勢力にとっては便利なものです。意見が対立している相手を納得させるのに、『前例』というのはもってこいの武器なのです。

 

ある人が、 「今回はこの新しいプランで行きましょう!」 と提案すると、誰かが、 「その前例は今までないよ!君は成功を保証できるのか?」 と反論します。

 

たとえ、新しいプランが正しくて効率的だったとしても、新しいことにはリスクがあります。そのリスクを背負うのは勇気がいることであり、なかなかサラリーマンには出来ることではありません。

 

失敗すれば、 「ほらみたことか。前例に従わないからこうなるんだよ。どう責任取るの?」 と責任を問われるからです。

 

その結果、提案者は提案を手仕舞いして前例に屈するのです。 前例で決めるのは簡単 会社が前例通りに意思決定を行ってしまうのは、仕方のないことです。だって、そのほうが楽で、簡単で、誰も責任を問われないから。

 

たとえその前例があるとき失敗したとしても、そのときの担当者は言い逃れが出来ます。 「私は前例どおりやっていただけです。私に責任はありません。」

 

これは、特に管理職にとって重要な責任回避方法です。過去からずっと続いているという事実は、誰かに責任を問われたときにもってこいの言い訳になるのです。

 

また、前例どおりやるのは簡単です。難しいコスト計算も、リスク管理も、状況判断も必要ありません。ただ、これは前例どおりという証明を残せばいいのです。 そりゃあ、会社で前例が力を持つわけです。

 

せめて抵抗勢力にはならないようになりたい

 

前例が利益をもたらしているうちはいいのだけど、ある時期からマイナスとなることもあります。

 

取り巻く環境が変わったり、新しい技術革新があった場合、それを予測できずに無視している『前例』は、時として損をしていたり、害となりえることもあります。

 

過去にその前例で成功体験なんかがあると、余計に前例はパワーを発揮します。その結果、その前例は時代遅れで使えないものになることもあったりします。

 

そこに年配社員が前例を武器として抵抗勢力となるのですから、前例を変えることは本当に大変だと思います。 前例を変えたほうが利益になると思ったときに、抵抗勢力をけちらし、新しいやり方に変えられる人になれればいいのですが、なかなかそんな人にはなれそうもありませんね。

 

だからせめて、抵抗勢力にならずに、その変化をもたらす人を応援できる人になりたいです。年をとったら特にそうですね。

 

 

会社のルール 男は「野球」で、女は「ままごと」で仕事のオキテを学んだ (ミリオネーゼ・シリーズ)

会社のルール 男は「野球」で、女は「ままごと」で仕事のオキテを学んだ (ミリオネーゼ・シリーズ)

 

 

弱っている人の気持ちは、経験したことがある人にしかわからない

昔、残業が多くて忙しい会社に勤めていたことを書いた。

 

残業代がでる会社が、必ずしもホワイト企業とは限らない - アン・タブチのブログ

 

その会社はすでに退職しているが、その会社を辞めるときは大変だった。最後のほうは肉体的にも精神的にもボロボロの状況で、最後は逃げるように会社を辞めてしまった。

 

よくしてくれた人にもちゃんと挨拶できなかった。大事な仕事を途中で放り投げてしまった。後悔だったり、申し訳ない気持ちだったり、複雑な思い出だ。それは今でも忘れられない記憶となっている。

 

 なかでもよく思い出すのは、一番お世話になった先輩からの言葉だ。今でも忘れたことはない。その言葉と言うのは、「弱っている人の気持ちは、経験したことがある人にしかわからない」というものだった。

 

残業が多いその会社に勤め始めたころ、私はまだ20代前半だった。仕事も半人前で、いわゆる“社会人としての一般常識”もよくわかっていなかった。先輩はそんな自分の指導係だった。仕事のやり方から会社の常識までいろいろと教えてくれた。

 

とはいえ、その先輩自身ちょっとだらしなくて、“社会人としての一般常識”をあまり守らない先輩だったのだが。 本人も“社会人としての一般常識”をよく思っていないらしく、「一応指導係だから言うけど…」という前置きを言ってから指導する。そのせいか、それほど細かく言うわけではなかった。

 

そんな先輩がなぜ指導係だったかというと、それは“仕事が出来るから”に尽きると思う。 営業職ではなかったものの、顧客の懐に飛び込むのが上手で、顧客とフランクな付き合いが出来る人だった。それが時として仇となり、理不尽な要求を受けることもあった。

 

でも、最終的には顧客といい関係を築くことができる人だった。だから、会社としても指導係を担当させていたのだろう。 会社自体は好きではなかったけれど、この先輩のことは尊敬していて、金魚の糞のようにくっついていた。自分とはまったく違うタイプだったけれども、「いつかこうなれたらいいな。」と思える先輩だった。

 

仕事がしんどくなってきても、その先輩にアドバイスをもらったり、手伝ったりしてもらったりして乗り越えることが出来た。

 

3年目のとき、その先輩とは別の部署に異動となった。もう指導係が必要な新人ではなかったし、会社もいい独り立ちの時期だと見たのかもしれない。自分も、立派に仕事をこなして先輩に恩返ししたいなあと思っていた。

 

しかし、新しい部署での仕事は多忙でストレスの溜まるものだった。だんだん気力が奪われていき、仕事が楽しくなくなった。社風や働き方にも疑問が生じてきて、モチベーションが下がる一方だった。

 

気力が失われていくと、ミスも多くなってきてうまくいかないことが増えた。そしてさらにやる気を失っていった。 だんだん自信が失われていくと同時に、体の調子が悪くなった。

 

目が痛い・腹が痛い・体がダルい・頭が痛い・鼻水が出る。日によって悪いところは変わるけれど、常に不調だった。体が調子悪くなると、だんだん気力がなくなってくる。

 

ある朝起きたときに、「もういいや」って思った。「俺はだめ人間だ。社会人失格だ。社会不適合者なんだ。」と思うと、仕事に行きたくなくなった。その日はうそをついて、はじめて仕事をさぼった。

 

負のスパイラルに陥り、本当につらくなってきた。そのときは病院にいっていないけれど、ちゃんと診てもらっていたら「うつ」の病名はついていたかもしれない。

 

そんな状態に我慢が出来ずに、最後は逃げるように会社を辞めてしまった。よくしてくれた人にもちゃんと挨拶できなかった。大事な仕事を途中で放り投げてしまった。 -

 

退職が決まり、ボーっとした毎日を過ごしていた。もちろん、転職先を探す気力もわいてこない。昼まで寝て、ゲームをして、夜中までテレビを見て寝る生活。楽なんだけれど、ちっとも楽しくなかった。

 

そんな毎日を過ごしていると、先輩からメールが来た。「最後に飲みに行こう。」という内容だった。 先輩に合わせる顔がなくて、一度は断った。けれども、先輩は強引に誘ってきた。「もう会わないかもしれないんだぞ。お世話になったと思うなら来い!」

 

約束の居酒屋に行くと、すでに先輩が待っていた。退職までのいきさつや理由を聞かれるかと思っていたけれど、先輩は何も聞いてこなかった。「あそこの部署は空気悪いよな~」とか「うちの会社って変だよな~」なんて自分の会社の悪口を言いながら、酒をぐいぐい飲んでいた。

 

飲み放題の制限時間が迫ってきた。「なぜ先輩は自分を呼んだのだろうか。」「ただ暇だったのかな?」と考えていたら、先輩が急に真顔で話してきた。

 

「お前がいなくなるの本当にさびしいよ。体大丈夫か?」

 

それを聞いたとき、少し泣きそうになった。でも、泣くわけにはいかないから、明るく答えた。

 

「大丈夫ですよ。でも、ちょっと弱っているかもしれないです。」

 

そう言うと先輩は、

 

「お前、いい経験したな。挫折を知らないまま、年をとって管理職になると苦労することになる。なぜなら、弱っている部下の気持がわからないから。わかったような気になっていても、本当はわかっていないことが多い。弱っている人の気持は、弱ったことがある人しかわからないんだ。だから、お前がいつか管理職になったら、きっといい上司になれるよ。」

 

それを聞いたとき、やっぱり泣きそうになった。 おしぼりで汗を拭くようにしてごまかしたけれど。

 

あれからずいぶん経つけれど、自分はまだ管理職をやったことがない(笑)。だから、いい管理職になれるのかどうかはわからないけれど、あのときのアドバイスは役に立っている。

 

弱っている人にはそれなりの理由があり、立ち直るには時間が必要だ。それをそっと見守ることも大事だと思っている。 この記事を書きながら懐かしくなり、その会社のホームページを調べてみた。

 

社名は変わってしまったようだったが、会社は存続していた。儲かっているかどうかはよくわからない。社風は当事のままなのだろうか。 そして会社概要を見てみると、役員一覧に先輩の名前があった。どうやらまだ会社にいて、偉くなっているらしい。たぶん先輩は不本意なんだろうけど。

 

役員という肩書きと、当時の先輩の姿が重ならずイメージが出来ないけれど、どんな偉い人になっているのだろうか。先輩は偉くなったけど、“弱っている人の気持ちがわかる”まま役員になったのだろうか。それはわからないけど、なんとなく先輩はあまり変わっていないような気がしている。

 

 

人の気持ちがわかる人、わからない人~アドラー流 8つの感情整理術~

人の気持ちがわかる人、わからない人~アドラー流 8つの感情整理術~

 

 

残業代がでる会社が、必ずしもホワイト企業とは限らない

無駄に何回か転職してる自分。いくつかの会社を転々としたけど、残業代がでる会社とでない会社があった。残業代がでない会社というのは違法だしあってはならないはずなのに、実際にはありましたよ。というか、中小企業は出ないほうが多い。

 

就活中の学生にとっては、残業代の有無というのは気になるところだろう。残業代のでない会社はブラック企業、でる会社はホワイト企業と呼ばれる。もらえるものはもらいたいし、がんばった分だけ収入が増えるほうがいいに決まっている。でも、実際に経験してみると・・・必ずしもそうでもなかった。

 

残業代のパターン

 

残業代については、会社によって色々なパターンがある。

 

  1. ある時間以上働いた場合、残業代がでる会社 ある時間までは残業代がでる会社
  2. 無制限に残業代がでる会社
  3. まったく残業代がでない会社

 

1は、ある時間以上働いた場合に残業代がでるパターン。例えば、月間30時間の残業をした場合、20時間はみなし残業として給与に含まれていて、10時間分の残業代が支払われる。

 

2は、ある時間までは残業代がでるパターン。例えば、月間30時間の残業をした場合、20時間までは残業代として支払われる。それ以上の10時間分については支払われない。

 

3は、働いたら働いた分だけ残業代がでるパターン。月間30時間の残業をした場合、30時間分の残業代が支払われる。

 

4の残業代がでない会社では、月間30時間の残業をしても1円も残業代がでない。

 

残業代がすべて支払われる会社

 

「残業代がでる会社とでない会社、どちらがいいか?」と聞かれると、多くの人は「でる会社」と答えると思う。確かに、もらえるものはもらったほうが得だ。

 

だが、実際に経験してみると、必ずしも残業代がでる会社のほうがいいというわけではなかった。むしろ、残業代がでない会社のほうがいい場合もある。

 

ある時期、「3.無制限に残業代がでる会社」にいたことがある。その会社は「がんばる人にはそれに応じた報酬を」という考え方のもと、残業した分はすべて残業代が支払われていた。

 

その会社に入社したときは、「残業代が全額支払われるなんて、ホワイト企業だ!」と思っていた。 実際、残業代はでた。入社して最初の月は残業するほど仕事を任せてもらえなかった。その次の月、仕事を任され、残業が20時間あった。すべて残業代としてもらった。その次の月、さらに仕事を任された。残業が30時間になった。・・・どんどん残業が増えていった。

 

入社して3年後。月の残業は180時間になった。平日は終電まで働き、土日も出勤した。その180時間分の残業代はすべてもらえた。給料が倍になるくらいの残業代。

 

そのおかげで、お金には困らなかった。好きなものを買える。 でも、なんだか楽しくなかった。だってお金を使う時間がないんだもん。平日はまっすぐ会社に行って、終わったらまっすぐ帰宅。そして何もせず倒れこむように就寝。休日は一日中ごろごろ。どこにも行かない。だから、お金があっても使い道がない。でもストレスがたまる。

 

そうなると、無駄に買い物がしたくなった。高額なモノを買ってみたり、ブランド物を買ったりしていた。たいした興味がないのに。

 

会社で周りを見渡してみると、 会社に傾倒し、仕事に全精力を注ぎ込むワーカホリック(家庭は破綻していたりする) 残業代欲しさに、無駄に会社に居残る生活残業者(残業代がないと生活が破綻する) がゴロゴロしている。 しかも、そんなのが上司になるのだから、「残業サンセー」「残業しないやつはサボっているやつ。」という考え方が蔓延している。だから、仕事がはやく終わっても帰りにくいことこの上ない。

 

だんだんその職場に疑問がわいてきて、辞めてしまった。 残業代がまったくでない上に長時間労働している人もいるだろうから、そんな人から見たら贅沢なんだろうけど、働いていて満足は出来なかった。楽しくないし、何のために生きているのかわからなくなった。

 

残業代がまったく支払われない会社

 

その会社を辞めたあと転職した会社は、「4.まったく残業代がでない会社」だった。それは実際に会社に行き始めてから知らされて、知ったときは「残業代がまったく支払われないなんて、ブラック企業だ!」「ここにも長く居られないな」と思った。

 

この会社も辞めてしまったが、残業代がでる会社よりも長く勤めることになった。残業代がでる会社よりもストレスが少なかったからだ。残業しても給料は毎月変わらない。残業代がでる会社のときに比べると、5割か6割くらいの収入になった。欲しいものはなかなか買えない。

 

でも、時間は増えた。その会社では残業代がでないのだから、誰しもが仕事が終わったらすぐ帰る。無駄に会社に居残る人もいない。だって、居ても意味ないしね。上司も定時ですぐ帰る。

 

だから、気兼ねして帰れないということもない。もちろん、休日出勤もない。 時間が増えると、いろいろなことが出来た。アフターファイブに友人と飲みに行ったり、本当に欲しかったものを探しに行ったり。

 

お金はないから何でもできるというわけではないけれど、ささやかな楽しみは増えた。休日は遠出したり、疲れていたらゆっくりすることも出来る。

 

時間があるから、スキルアップのために習い事を始めた。そこで出会った人とは今でも仲がよい。残業代がでる会社にいた時は、仕事関係の人としか交流がなかったが、残業代がでない会社に勤めているときは、仕事に関係のない人との交流が増えた。

 

交流が増えるに従い、彼女も出来た。残業代がでる会社のときは、忙しくて別れてしまった。恋愛を楽しむ余裕なんてなかったのだ。

 

どちらがいいかは人次第 私の場合は、残業代がでない会社のほうがよかったが、そこは人次第だろう。会社のビジョンに共感し、会社とともに成長していきたいという人にとっては、残業代がでる会社は満足できるものだったろう。

 

逆に、私のように仕事第一ではなく、プライベートを楽しみたいという人にとっては、残業代がでない会社もブラック企業ではない。 残業代がでるのはいいことだけれど、弊害も生まれやすい。

 

仕事をせずに残業代をもらおうとするフリーライダーもでてくるし、「残業=仕事が出来る人」と考え、退社しにくい状況にする上司も生まれやすい。そのような弊害を回避する施策をしっかり整備している企業もあると思うが、対策などない場合が多い。

 

そんな企業に、「ホワイト企業!」と嬉々として入社するのは危険だ。 バランスが重要 結論。「残業代が全額出る=いい会社」ではない。残業と賃金のバランスがしっかり取れていて、それが社員にとって満足のいくものになることが重要だ。